電脳で巡る世界・日本の旅

2009年6月27日 (土)

激安ツアーで海外へ

旅行の好きな人は多いと思いますが、海外旅行は好きな人も多く何度も出かけている人は少なくありません。海外だから高いと思ってしまいますが、アジアなどは日本に近いためか国内よりも安いツアーもたくさんあるようです。そんな中の一つに、いま中高年に大人気なのが3泊4日の台湾激安ツアーだそうです。金額はずばり19800円だそうです。これ以外にもこの夏、続々と激安ツアーが登場していることもあって、一日に150件の海外旅行の申し込みがあるというのですから,この不景気にすごくありませんか?

安い理由は燃油サ-チャージ料が7月から9月まではゼロもしくは大幅安になっているためだそうです。しかし10月からは未定ということで、この7月から9月が大変お得になっているというものです。サーチャージ料とは燃料価格が一定以下に下落した場合は徴収しない料金表とする場合もあるとなっていて、今がその時期にあたっているのです。そのため去年の5月の時には旅行代金にプラス29800円が上乗せされていたのが、いまはゼロか大幅に安いというわけです。

例えば香港マカオが2008年には67600円だったのですが、2009年には29900円という具合に、3万円以上もお得になっていると言います。じつはこちら、知る人ぞ知る激安ツアーの「てるみくらぶ」という会社で、インターネット専門の旅行会社。宣伝をしないからその分安くできるというわけですが、テレビでこの話をちょうど聞いたのです。そして冒頭の金額を聞いたときには、台湾でこんなに安く行けるのかとちょっとびっくりしました。

このときパッケージツアーの体験旅行で、主婦が二人このツアーに行っていたのですが、激安ツアーでも現地ガイドがつき、それも日本語のできるガイド付きでした。激安ツアーの理由は、サーチャージャー以外でも、バスがど派手なピンク色で宣伝をして宣伝代を安くしていたり、ホテルも激安なのにきれいなのですが、年間契約で1人4500円の部屋を安く手当てし、通常の半額で抑えているそうです。

こんなそんなで見えないところで経費節減をしているのだと思いますが、安いけれど食事はうまく、ホテルはきれい、回っていくところも7件くらい回っていました。テレビにもそのときの料理が出ていましたが、決して粗末な感じはありません。この金額でこんなにと、2人の主婦も大満足と言って大変はしゃいでいました。これなら行って見たいと思わせる旅で、十分満足という感じでした。下手な国内旅行するより、この方がずっとお得感があるようにみえました。今年の夏は一つ海外でもいかがですか?

2009年6月 5日 (金)

世界遺産:オクラランバとサン族

南アフリカにある世界遺産・オクラランバ公園は、文化・自然遺産としての①人類の創造的資質を示す傑作と②現存する、あるいは消滅した文化的伝統・文明の独特の証拠を示すもの。③重要な様式の建築物、人類の歴史上、重要な発展段階を示す景観の見本。ということで2000年世界遺産に登録されたそうです。つまり優れた自然美、環境保護上価値のある野生種の自然生息地域。人類の創造的資質を示す傑作。現存する、文化的伝統・文明に関する証があると言うことで、複合世界遺産に指定されています。

オクラランバ公園は、南アフリカの中にレソソと言う独立国がありますが、その国のインド洋側の国境沿いにあります。ヨハネスブルクからは南に300キロメートルのところで、3000m級の峰が連なる景勝地であり、めずらしい動植物もいると言います。またこのいったいの洞窟からは、4万5000点以上にのぼる岩絵が見つかっていて、これは4000年以上も前にこの一帯に住んでいた狩猟民族のサン族が描いたものだそうです。

サン族と言う言葉で思い出したのですが、かつて「ブッシュマン」と呼ばれたサン族は、カラハリ砂漠の先住民で、先住民の知恵に目をつけたヨーロッパの製薬会社が、彼らの薬草の知恵を盗み、食い物にして特許を取っていると言う記事を書きましたが、そのサン族と今回の岩絵を描いたサン族とは同じ人たちではないかと思います。と言うのもサン族は白人に土地を追われ、ばらばらに住むようになったと言うことだったと思ったからです。

さらに余談ですが、以前ブッシュマンと言う映画があり、そこに出ていたニカウさんと言う人がいましたが、この人はブッシュマン(サン族)と呼ばれた人たちと同じ仲間です。あの映画は初めて都会と言うものを見てびっくりしていたと言う話ですが、そのニカウさんもカラハリ砂漠に住んでいるサン族の1人と言うわけです。一方今回のサン族はそこから遠く離れたところに住んでいます。昔は移動生活をしていたと言うことですので、同じ種族の人たちだったかもしれません。しかし顔を見るとちょっと違うようにも見えるので、その辺がちょっと同じ種族の人かなと言う不安もあります。

だいぶ話がそれましたが、オクラランバ公園には深い谷と鋭い3000m級の岩山が何処までも続きます。テレビでは深い谷の崖のところから美しい山々を見ている女性の姿を映していました。チラッと見えただけでしたが、ほんとにきれいそうなところでした。さらにそこには世界第2位と言われる、トゥゲラの滝と呼ばれるものがあるそうです。滝の落差は948mと言いますから、世界一高いと言われるあのエンゼルフォールの978mと大差ありません。しかしそんなに高い滝のわりには、その滝の名前をあまり聞きませんよね。私も初めてそういう滝があると言うことを知ったのですから。

その理由として考えられるのは、南アフリカの治安の悪さにあると思います。何と言ってもその治安の悪さは世界一と言われているのですから、観光客も事件に巻き込まれるのが怖くて行かないのではないでしょうか?地元の人だからまだ行っているのですが、あえて危険を冒してまで行かなくてもと言うことでしょう。しかしそれだけに観光客も少ないでしょうから、それだけに美しいところだと感じました。あまり人の手が入らないところがあっても良いかなと思います。

2009年5月28日 (木)

ホエールウォッチングと世界遺産

カルフォルニア湾はメキシコ太平洋側にあるにある、長さ1000キロに及ぶ細長い半島に囲まれた湾です。そんな半島にラパスと言う小さな町があるそうです。今回はここを舞台に湾内と岩絵とエルビスカイのコククジラ保護区などの世界遺産の紹介です。こんな荒れた大地の先にも人がいるのですね。地図で見ればまったく人が住んでいそうもないようなところですが、それでも人は住んでいるのです。人間って強いと言うかたくましいと言うか、びっくりしてしまいます。だからこの半島はもう一つのメキシコと言うそうです。

ラパスから船で出かけると、イルカの大群が船の横を泳いでいます。その数1000頭と言う見たこともないような途方もない数です。そんな大集団のイルカが船の横を泳いでいるのですから、それだけでも興奮してしまいそうです。そしてイルカがスピードを上げました。餌を見つけたと言うことです。100メートルほどの島には200頭もアシカがいます。じゃれて遊んでいます。このように、たくさんのイルカやアシカや魚が棲めるように、ここは世界でももっとも豊かな海と言われているところです。もちろん今回のコクジラもたくさんいますし、そのほかにもヨスジフエダイやガーデンイールなどなど。

カルフォルニア湾は外洋の荒波から守られているため、哺乳類の4割、鯨の3割がここにいるそうです。そしてここにいる生き物の生活を支えているのがオキアミ、つまりプランクトンです。例えばオキアミをサバが食べ、それを大型の魚が食べると言うように小さなものから順番に大きなものへと食物連鎖が出来上がっているのです。それではこのオキアミは何を食べているかと言うと、それはコロラド川がこの湾に栄養を大量に含んだ土砂を運んできているからです。川と言うのは森林や大地の恵みが染み出し、川となって流れだしているから、海と川と言うのはそう言う意味でも繋がっているのです。だから山が荒れると下流の海の魚が取れなくなってくるのです。

そんな豊かなこの湾にはイトマキエイもやってきます。それも大集団です。1万匹と言う見たこともないような数のエイがやって来て、ここで子どもを生むのです。つまりここは魚たちにとって母なる海と言うわけです。こんな姿を見たら大自然の壮大な姿に圧倒されてしまうでしょうね。そうこうしていると今度はシロナガスクジラを発見。体長30メートル体重2トンと言う地球上で最大の生き物です。そんなクジラでさえもあのオキアミが支えているのです。あの大きな口でガバッと一飲みし、オキアミだけをこして食べるのですが、たかだか2~3ミリのオキアミをいったいどのくらい食べたらお腹がいっぱいになるのでしょう?それも何回取れば良いのか気が遠くなりそうですね。シロナガスクジラも年に1回出産のために、はるばるアラスカの方からこの湾にやって来るのです。クジラにボートで近寄ると、潮を吹くのですが、その噴気を嗅ぐと生臭い臭いがします。こんなクジラですが、ひとたび泳ぎだせば時速30キロで泳ぐので、あっという間にボートは引き離されてしまいます。

カルフォルニア半島の真中には2000メートル級の山々があって、そこにはもう一つの世界遺産があります。サンフランシスコ山地の岩絵群です。そこに描かれている巨人の絵は人の3倍もあります。とても描けそうもないような高いところに描いてあり、赤と黒で色づけされています。最大のものは4メートルもあるそうです。だからこれは巨人が描いたと言う伝説があります。ほんとうはヤシの木でやぐらを組んで描いたと言われていて、巨人でもなんでもないのですがね。昔は夏になるとここへ3000人くらいの先住民が来たそうで、避暑に来ていた?のかも知れません。そして宗教儀式も行われたのではと言われていますだから。大鹿を崇めるように手を上げているシャーマンたちも描かれていて、いっしょに5メートル(最大)のクジラの絵も描いてあります。

そしてもう一つは半島の反対側、つまり太平洋側にあるエルビス・カイのクジラ保護区です。サンイグナシオ湾で、世界遺産の一つです。ホエールウォッチィングの出発点でもあります。ここにいるのはコククジラで湾にいるクジラがいっせいに塩を吹くそうですが、そんな景色は普段見ることはない景色であり一度見てみたいものです。ここもクジラが出産のためアラスカから遥々やって来る所なのです。体長は15メートルで、肌が剥けていたりフジツボがたくさん付いています。そしてこのフジツボとコククジラとは深い関係があります。それは最後のところで。

コククジラの動作の一つにスパイホッピングというものがあるそうです。上半身を海面から出してジャンプするものですが、これは周りを偵察しているのだそうです。外敵がいないかと言うことで警戒しているのです。そして安全に子育てをしているわけです。もう一つはパシャパシャと言う水の音に引かれるのだそうです。そのためその音に誘われるように船の真横まで来るのです。岩絵に描いてあったクジラはこれです。クジラが近づいてくるさまを描いているのです。知らない人はクジラが近づいてくるなんて思わないのです。だからそんな風に見えるクジラの絵を不思議がっていたと言うことです。話がそれましたが、真横まで来るので手でタッチすることも可能です。さらに赤ちゃんコクジラにもタッチすることが出来るのです。それも何度も何度もですよ。触ると柔らかく手温かいそうですが、当然ですよね。同じ哺乳類ですからね。赤ちゃんを育てるときにはお母さんの背中に載せて息継ぎの練習をさせるのだそうです。覚えるまでつっきりです。クジラも子育ては大変ですね。

フジツボとコククジラの関係は、砂の中にいる小さなエビやカニを、顔を横にして、顔をこ擦りつけるようにしてすくい取り、口から砂を噴出して食べるのです。だからそのときできるのが擦り傷で、そこへフジツボが付くのです。こんなことをするのはコククジラだけだそうですが、こうして他のクジラがしてこなかったことをして生き延びてきたのです。18世紀ごろ、アメリカの捕鯨船によって、2万頭いたと言われていたコククジラが、200頭まで激減してしまったそうです。そのとき海が真っ赤に染まったそうで、子どもを殺された母クジラが船に体当たりをしてきたので、悪魔のクジラと船員たちは言ったそうです。昔、散々酷いことをしながら、今頃になってクジラがかわいそうだと叫んでいても、何を言っているのだと思いたくなってしまいます。今では保護されているため2万頭にまで戻り、こう言う例は稀有な例だそうです。

エルビスカイノがなかったので代わりです。
http://www.youtube.com/watch?v=YwR77pYBvSw

追伸
コククジラの名前をコクジラと書いておりました。
げんたさんよりご指摘を受け5/29 9:15に訂正させて頂きました。
訂正前に読んで頂いた皆様、どうも申し訳ありませでした。
以後いっそう気をつけて書いていきますので、よろしくお願い致します。

2009年5月23日 (土)

世界遺産「バチカン市国」Ⅱ

http://www.youtube.com/watch?v=dTkPScreYMA

上の映像は大塚国際美術館の内部でシスティーナ礼拝堂を再現したものです。

システィーナ礼拝堂の天井画を書いたミケランジェロ。「太陽と月と5つの創世記の物語」が描かれている天井画をミケランジェロ1人で4年の歳月をかけて描き、描きあげたときには37歳であったが、まるで老人のようだったと言います。あの天井の絵をいったいどういう姿勢で描いているのでしょうね。堂内に足場を組み、横になりながら製作したのだと言いますが、4年もそんな格好をして描き続けるのですから、根性もなければ描きあげることは出来ませんよね。天才と言ってもそれだけでは完成させること出来ず、膨大な時間をかけて、根性と忍耐で描きあげているのかと思うと天才とはまた違った面を感じた思いがします。

http://www.youtube.com/watch?v=fQVatZOKr8s

上は行っていない人のためのサンピエトロ大聖堂の動画です。

サンピエトロ大聖堂の一番の見所と言うかすごいところは、ドームの窓から入る光が天才たちの絵を指し照らし、いっそうの荘厳さをかもし出していると同時に、光の存在がドームの大きさをいっそう引き立てているところではないでしょうか?つまりドーム下の礼拝堂の荘厳さ壮麗さと空間の大きさを、光を使ってうまく表現していると思います。だから誰しもそのスケールと宗教的な神秘さに圧倒されるのだと思います。ここにあるドームはミケランジェロ71歳のときに主任建築家に任命されたときもので、1546年のことです。昔で言えば71歳と言うとかなりの高齢であるはずですが、そんなときにこれを担当したと言うのですから超人的な人でもあったのでしょう。ドームは直径42メートル、高さが132メートルあり、16の天井窓から差し込む光が天才たちの描いた絵を浮かび上がらせていますが、これは彼が設計したと言います。ドームが完成したのはミケランジェロが没して62年後のことですが、ミケランジェロはその完成を天国からどんな風に見ていたのでしょう。
最後にバチカンの三分の一を占めるサンピエトロ大聖堂、その前にはサン・ピエトロ広場があり、それを囲む回廊には284本のドーリア式円柱が立っています。「世界不思議発見」でも言っていましたが、円弧の中心から眺めると、内から外への4本の柱が重なって1本に見えると言う、ちょっと不思議なところです。さらに人々が安らぎを求めてやって来るところでもあり、ここは母なる広場でもあります。400年経っても変わらない人口1000人足らずの国ですが、そこへ世界中から1000万人の観光客が来るところでもあります。1984年世界遺産に。

2009年5月22日 (金)

世界遺産「バチカン市国」と映画「天使と悪魔」

イタリア・ローマにある世界最小の国バチカン。バチカンとはローマ教皇が統治しているカトリック教会の総本山です。世界中に信者が10億人とも言われており、面積は小さいけれど世界のカトリック教徒に強い影響力をもっています。そしてバチカンと言う名は、もともとここが「ヴァティカヌスの丘」と言われていたからであり、そもそもの始まりは聖ペドロの墓地とされるこの地に教会を建てたのが始まりです。その大きさは東京ディズニーランドよりも小さいにもかかわらず、その中にはサンピエトロ大聖堂やバチカン宮殿、バチカン博物館、サン・ピエトロ広場など有名な建物がびっしり建っています。

ここには16世紀から500年間以上、スイス人衛兵が教皇を守り続けています。初代教皇はペトロと言われており、キリストから直接、ペテロが教皇という立場を授かった(だから、カトリック教会こそ、地上に存在する唯一のキリストに正式に認められた教会である。)と言うことになっています。そしてサンピエトロ大聖堂の主祭教壇の下には、皇帝ネロによって迫害、殺されたペテロの墓があり、歴代教皇のもここに眠っています。というわけでこの教壇でお経を上げれるのは教皇だけしかできないことになっています。

ここでちょっと余談になりますが、今、ダヴィンチコードシリーズ第2弾「天使と悪魔」と言う映画が上映されていますが、このときこのバチカンが映画の舞台となって、いろいろな教会も出てきます。その中でこのサンピエトロ大寺院の主祭教壇(と私は思ったのですが・・・間違っていたらごめんなさいちょっと自信ないかな?)と思われるところが出てきて、最後の最後でどんでん返しがあり、犯人が自殺した場所だったように思いました。もちろんセットで復元しているのだと思いますが、この映画を見るに当たって、バチカンのことを知っているのと知らないでいるのでは、映画の面白さがまた違ってくると思います。反対に言うと、知らないとスピード感があるだけに、早すぎて何がなんだか分からないと言うことになってしまうかも知れません。興味のある方は見てはいかがでしょう。

横道にそれましたが、さらにシスティーナ礼拝堂(教皇専属の礼拝堂でコンクラーベが行われるところ。新教皇が決まると屋根から煙が出ることになっていて、決まれば白)の壁(天井)を飾るのが、ミケランジェロの「最後の審判」と言う超有名な絵が描いてあります。天国か地獄かの行き先が決められるところを描いたものです。背景の空が高価なラピスラズリによって描かれていて、目の覚めるような鮮やかな青が修復で蘇っています。そしてこの中でミケランジェロは自画像を書いているのです。皮ばっかりになった自画像です。何でそういう絵を描いたのでしょう?

ミケランジェロは絵筆以外にも、ノミを持って造ったものがあります。それが一つの大理石から作ったピエタと言う彫像で、何とそのとき25歳で、それがバチカンのデビュー作と言うのですから、天才の名に相応しいデビューですね。ミケランジェロの数ある彫刻の中でもダビデの像と並ぶ最高傑作と言われているものです。そしてここにちょっとした秘密(実は秘密でもなんでもないのですが)があります。この彫像にはミケランジェロの最初にして最後の署名がしてあると言うのです。もしバチカンにいかれたら何処にあるか探してみるのも楽しいと思います。

2009年5月15日 (金)

ギルフ・ケビールとエジプトとの関係

1万年前から5000年間描かれたと言われている岩絵。それは「大いなる台地」と言う意味の「ギルフ・ケビール」の洞窟に描かれています。そこには様々な動きをした人間がたくさん描かれており、その絵には生活感溢れる日常のさまざまな様子が描かれています。ダチョウからガゼル、キリン、それにもちろんあの有名なスイマーと思われる絵も描かれています。(この絵はアフリカの中でもこの地域しか描かれていません)そして首のない動物の絵も。

さらには牛の群れの絵も、1頭を囲んで11頭の雌の牛が描かれているようで、種牛のように見えるそうです。これは放牧の途中、岩の上で休憩しながら下の様子を描いたかもしれません。と言うのは今は砂漠のど真ん中にあるここも、その昔はサバンナで人々が狩や放牧で暮らしていたと言うことが想像できます。そして自然の恵みに感謝しながら生活していたかも知れませんと。

そんなサバンナだったところがいつ砂漠になって行ったのでしょう?何でも1万500年前は150mmを超える雨が降っていたそうです。しかし7500年前頃からだんだん乾燥しだし、5500年前には雨がほとんど降らなくなったのだそうです。そして砂漠からは1000キロ離れたナイル川に人々が移って行き、そこでエジプト文明が開いたのではと言っています。

その証拠がツタンカーメンの黄金のマスク(3500年前)に使われているシリカグラスと言う石です。このシリカグラスと言うのは、隕石が衝突したときにできる圧力と高温で、石がシリカグラスになったものですが、ここから北へ50kmのところに隕石が落ちた跡があります。つまりシリカグラスと言う石はここからしか取れない石なのです。そしてこの石がツタンカーメンの黄金のマスクに使われていると言うわけです。

エジプト文明と岩絵との関係は、トトメス3世の墓の中の壁画の中にもあります。壁画の中にスイマーのような絵がありますが、水は死から復活する力を持っていると考えられていました。そのため死後の世界は海と考えられていたので、壁画の泳いでいるようなスイマーの絵は、死者が復活しようと必死になって泳いでいる絵ではと言います。

もう一つ、首のない動物も神話に関係するそうです。古代エジプトの死者の復活の絵は、オシリスの前で死者が判決を受け、頭はワニ、体はライオンのようなアメミトが死者の心臓を食べるのだそうです。しかしアメミトに食べられないように必死に泳いでいるのだそうです。と言うように岩絵の人たちの考えが、古代エジプトに影響しているのではと考えています。

2009年5月14日 (木)

ギルフ・ケビール、1万年前の岩絵

5000年前にエジプト文明が誕生したと言われていますが、そのルーツが何処にあるかと言うことは、まだよくわかっていません。以前、「神々の指紋」と言う本が出て話題になったことがありました。その中で頭に残っているのは、スフィンクスに雨で浸食されたような縦溝の跡があり、これは雨が多かったもっと昔の時代の雨に浸食された証拠であり、これからもピラミッドは今考えられているよりも、もっと以前に作られたものだというのがありました。しかしこれなどは、だいぶ批判もされているようで、「塩化による風化」によるものではないかと言う話があり、依然として真相はわからないのが現状です。

そんなときNHKで、「エジプト文明のルーツが砂漠にあったのではと言われ始めた」と言っていました。サハラ砂漠には洞窟の岩絵が大量に眠っていて、そこに手がかりがあるのではと言うわけです。まずギザの3大ピラミッド、そこにはツタンカーメンの黄金などの秘法がたくさんありますが、その中の宝物としての絵、ヒエログリフもその一つです。これは遺跡のいたるところに書かれており、エジプト文明は絵画の文明でもあると。ということでこれをヒントに答えに迫ってみようと言う試みです。いったいヒエログリフの絵は何処から来たのか、東方のメソポタニアか、それとも西方の砂漠から来た人々から来たのか、その答えはいまだ出ていません。

そこでエジプト文明の絵画の様式から考えてみようとしています。つまり絵画を書いた人々のルーツが何処にあるかと言うわけです。そうすれば何処から来た人なのかと言うことがわかるのではと言うわけです。と言うことでサハラ砂漠にある先住民の岩絵に秘密があるのではと見に行くことになったのです。そこはカイロから南西に1000キロにあるところで、5日間もかかるところにあります。名はギルフ・ケビールと言います。そこは砂漠にあり、静岡県ほどもある大きな台地で、現在、岩絵が3ヶ所ほど分かっていますが、この他にもまだ岩絵が大量にあるようです。

ここは1933年にたまたま発見されたそうで、その後も伝説として語り継がれていたものの、危険地帯のために誰も近づけず、最近になってリビアが国際社会に復帰するなどしたことで、ようやく訪れることが可能となり、今回の調査となったわけです。ちょうどリビアとスーダンの国境近くにある巨大な岩山で、そこには1万年前の岩絵がいくつも描かれているのです。その中には楽しげに泳ぐスイマーたちの姿が残されているのです。発見した人はまさか砂漠の真ん中で泳いでいるような絵が描かれているとは思わなかったでしょうね。そしてこれは何をしているのだろうと言う疑問が頭にしっかり刻まれたのです。

ちょっと余談ですが、ある旅行会社でこの場所を旅行する人を募集をしていました。すごいですね。もう旅行の企画があるのですから。恐れ入ります。でも行ってみたい人もいるでしょうね。

2009年5月 4日 (月)

北極点への旅

地球の両軸の一方である北極、最近では温暖化の影響を最も早く受けているところとして注目され、その象徴として北極のシロクマが絶滅してしまうのは時間の問題だと、テレビや新聞、雑誌などで関連記事が掲載されることも多くなりました。温暖化のため氷の厚さがどんどん薄くなっており、シロクマが春に目を覚ましても狩の出来る期間が短くなってしまい、越冬するための十分な食料が確保できなかったり、最悪それまでに餓死してしまったりするシロクマが出ています。そのためかシロクマの姿を見ようとするツアーが組まれた番組も見たこともあります。

そんな番組の中にはこんなツアーもありました。これは4月25日に放映(再放5/4)されたものですが、北極点を目指す船の旅というものです。これは「地球の最果てとも思える世界、北極点へのクルーズで、海の神(ネプチューン)の儀式を行い、北極到達に向けての鍵が船長に渡され、皆様の北極点到達への一途な願いを船長に託したものだそうです。 そして、北極点の氷の上に到達し、北緯90度の看板を真ん中に円陣を組み、地球の頂点で誇らしく日の丸の旗を持ち記念写真などが出来ると言うものです。 さらにはフランツ・ヨーゼフ・ランドやフッカー島の北極基地跡、ウィルチェック島の探検に、ヘリコプター遊覧で驚きと感動の連続! さらに、セイウチ、ヒメウミスズメ、ムンククジラや人気NO.1の白熊などなど、北極点での出会いも体験する」と言うものです。(読売のページより)

今回は7月12日に待望の北極点に到着と言うものです。映像から見た景色はこれが北極点かと言う思いより、真夏と言えども北極点まで砕氷船が到達できるようになったことへの驚きと、それ以上に一番驚いたことは回りの北極海の氷が薄く、海が見えるところがあったり、氷があっても薄そうで、あっちこっちに水が溜まっている事でした。そして一般の人が観光旅行として北極点まで乗り込んで来ることが出来るようになったことでした。一昔前は犬ぞりでしか到達できなかったところが今では観光船で乗り込むのですから、地球の移り変わりと言うより急激な変化を感じさせるに十分な光景でした。もちろんその途中にはシロクマが狩に来ていましたが、餌がとれずとぼとぼ帰る姿はまさに消え行く動物のようで哀れにさえ感じるほどでした。

暗い話ばかりになってしまいましたが、その中でも旅と言う面での話しと言うと、こんな驚きもありました。氷の上に水溜りがあるのですが、その水のきれいなこと真っ青と言うか、マリーンブルーと言うか泉ピン子さんも感激していました。もう一つ北極点での寒中水泳もしたのですが、もぐったとき海の色がきれいだったそうです。たぶん一生忘れられない出来事になったでしょうね。入った時は肌が針で刺されるような痛みだそうです。そんなに冷たいのに出るときが寒かったそうですよ。不思議ですね。さらに北極は氷の大地ですので雪ではなくあくまでも氷で、食べるとざらざらしていたそうです。こんなことでも橋田壽賀子さんは感激していましたし、これに小豆を加えて氷あずきを食べていましたが、うまそうでしたね。どんな味だったでしょうね。最後にこの旅に9回も来ている人がいて、その人が言うに、9回も来ているのにヘリに乗れたのは2回しかないそうです。さらに太陽が見れたのは3回しかないそうです。しかし今回は太陽も出て美しい北極海を眺め、ヘリで空から北極点の周りを周遊できたと言うのですから、よほど天気に恵まれたのですね。橋田さん83歳、泉さん60歳の楽しそうな旅でした。

http://www.youtube.com/watch?v=qxFdnBgkmcw

2009年3月20日 (金)

ナスカ地上絵

ナスカの地上絵はあまりに有名で知らない人はいないくらいです。その地上絵のあるナスカ平原は年間雨量がわずか5ミリという、雨のほとんど降らない超乾地帯です。そう言う気候がずっと続いてきているので、風雨にさらされても消えることなく存続できたのでした。しかし近年、雨季になると雨が降るようになり、地上絵が壊されるような状況になってきていると言います。それが洪水が発生して一部絵が壊れてと言うものです。温暖化による異常気象の影響かどうか分かりませんが、そんな異常気象が続けば、地上から消えてしまうかも知れないそうです。そしてナスカの地上絵は1994年12月に世界遺産に登録されました。

この地上絵の存在が知られるようになったのは、1927年に付近を飛ぶ小型飛行機のパイロットから地上に何本も線が引かれていると言う報告からです。と言うのもあまりに大きかったため地上からではその絵が確認できず、空から見て初めてその姿を見るとことが出来たからです。それほど大きな絵が地上に100以上も描かれているのですからびっくりするのも分かります。近年では人工衛星から新たな絵が発見されたと言います。

これらの絵は紀元前200年から紀元後800年のナスカ文化の時代に描かれたと言われておりますが、どうのようにしてこのような大きな絵を描いたかと言うと、ここで地上絵を研究していたドイツ人のマリアライへさんは、かつて地上絵に沿って木の柱が一定間隔に立っていたと言うこと聞きました。そして思いついたのは2本の棒で線を引きその延長線上に棒を立てていけば大きな絵が描けると言うものです。実際には小さな絵を描きそれを延長していったと言います。それが証拠に原画と思われる小さな絵が発見されており、同じ倍率で拡大して描かれたことが分かっているそうです。

それでは何のためにこの絵を描いたかと言うと、天体の星座を地上に置き換えたものだと言うマリアライへ女史の説があります。これは農業の作付け時期を見ていたと言うもので、これ以外にも気球に乗って空からこの絵を見て楽しんだと言うものあります。まだはっきりした定説と言うものがないようですが、いろいろ思いを張り巡らして創造することに楽しいところがあるのも事実で、はっきりしないほうが楽しいと言うことはあるかもしれませんね。

ナスカ地上絵の映像
http://www.youtube.com/watch?v=tHwN8_qa2c8

2009年3月 9日 (月)

観光ランキング?

世界経済フォーラムは133カ国の旅行や観光の競争力をランク付けしました。前年から2ランク下げ25位になりました。この中でとくに目を引くのが近親感の項目で131位でした。これは何を意味しているのでしょう。何と言っても133か国中の131カ国ですからね。よく聞く話で日本人は親切で礼儀正しいと言う話を聞くので、日本は好印象かと思っていましたが、好印象と近親感は違うと言うことなのでしょうかね?

と言うことであれば、今回のランキングで欧米が上位にあると言うのも当然と言えば当然ですね。と言うのは同じ白人の国々で、文化も同じような文化や歴史を共有していることを思えばアジアやアフリカよりも近親感が高いのは当然ですからね。それもスイスのシンクタンクがランク付けしているのですから、そういう傾向になっても不思議はありません。つまりこのランキングは欧米から見た観光ランクですから、しかたがない面はあります。

もうひとつ気に食わないのが安全のランクが84位と言うことです。日本ほど安全な国はないと思っているのに131カ国中84位の安全と言うのはどうにも腑に落ちないのですがいかがでしょう。半分にも入らない下から4割くらいのレベルの国と同じなんていうのが不思議なくらいです。発表になっているものからだけで判断するとこう言うことですが、何かもっとこまかな基準があるのでしょうか?

それでは日本に観光に来てくれた国は何処の国かと言うと、2009年1月で見ると、
① 韓国           129600
② 中国           110400
③ 台湾            97000
④ アメリカ          47300
⑤ 香港            46600
⑥ オーストラリア       26900
⑦ イギリス          13600
⑧ カナダ           13500

とこんな具合です。これを見ると上位3カ国で6割近く占めているのですから、欧米に人気がないと言うより、近場からは来るけれど遠くの欧米からは来ないと言うこと、すなわち欧米も近場のヨーロッパやアメリカなどに行って、単に遠い日本まで足を延ばす人が少ないと言うことではないでしょうか?

ただ安全面だけはどうにも分かりませんね。こんなに順位が低いことが。これらから分かることはもっとアジアの韓国、中国などのアジア勢を誘致したほうがいいと言うことですね。

2009年2月18日 (水)

2009年日本香港観光交流年

香港と言えば行った事のある人も多いと思います。今年はその香港と日本の観光交流年だそうです。「観光庁では観光立国を実現するため、香港をビジット・ジャパン・キャンペーンの重点市場として位置づけ、訪日旅行者拡大のための様々な施策を講じているところです。本年9月から見ると、香港からの訪日日数が前年同期比約34%と大きく伸びており両者が緊密に連携し、お互いの経済に利益をもたらす観光促進を図るこの機会を歓迎します。日本人の香港への渡航者数は2007年には130万人を超え、日本人海外渡航者数の7.66%を占めています。この数は過去5年間増加を続けており、2009年日本香港観光交流年の実施により、更なる効果が期待されます。」とありました。

そういう私も以前行った事があるのですが、飛行場近くになるとジェット機の高度がどんどん下がってきて海上すれすれで飛び、窓から下を見ると香港の漁師さん?が舟をこいでいて手を振っていました。そう思うと「えぇー床1枚ですぐ下は海じゃん」と思ったら一気に怖くなった覚えがあります。実は高所恐怖症なんです。(*^^*) 後は香港と言えば夜景がきれいですよね。ちょうど香港に行った人からチョコのお土産をもらったのですが、その箱にはきれいな香港の夜景の写真がついていました。これ以外にもまだまだあると思いますが、例えばショッピング、グルメなどと楽しみ方はいろいろでしょう。いずれにしても近場で外国気分を味わえるいいところです。

そんなわけで香港の良い所は近場で手軽、お金をそれほどかけずに楽しめる、渡航費用も他と比べれば格段に安いと言うわけですが、それに以外にもリピーターの方ならハイキングコースなどの自然を楽しむと言うのもあるそうです。それは旧英国植民地時代に整備された23の自然保護区があり、その広さを合わせれば陸地面積の4割に当たるというのですからすごいでしょう。中にはハイキングコースが縦横無尽に張り巡らされているのです。ガイドさんによれば、都会と自然が一体化している香港は、マンハッタンとアルプスがいっしょになったようだと言います。これ以外にも新界の北にはラムサール条約にも登録された湿地や、バードウォッチングングもできる香港ウェットランドパークなどがあります。

そんなハイキングコースの一つに香港島東南部の半島にあるシェッコー公園にあるドラゴンズバックはどうでしょう。中心部から地下鉄とバスを乗り30分ほどで行くことができます。そこを上空から見ると尾根が竜の背中のようにうねっているところからこの名前がついたそうです。道標に沿って歩けば15分ほどで山頂だそうです。そうすると右手には青い海と緑の島々が、そして左手には高層マンションが優雅な稜線を描いていると言います。

よく香港に行く人でも、こういう自然を楽しみながら歩き、歩いた後は繁華街に戻って料理やお酒を楽しむと言うのは少ないのではないでしょうか?山でハイキングを楽しみ、自然を楽しんだあとは料理を楽しむと言う事が出来るのは、香港ならではのことだそうです。もちろん香港の100万ドルの夜景と言うものも楽しめると思いますよ。世の中不景気で大変な時期で暗い話ばかりですが、政府の観光交流年にのっとって行くのも楽しいかも知れませんね。

2009年2月 1日 (日)

山水画の世界「黄山」

多くの山水画によりそのすばらしさが伝えられてきた黄山。立ち並ぶ山々は古生代に出来たもので、自然が1億年もの歳月をかけて創り上げたことで、現在のような断崖絶壁の景観ができあがったと言われています。そして海から流れ込む湿った空気が峰々に当たるとことで大量の霧や雲を発生させ、峰々の間を漂うことで天下の名勝「黄山」が出来上がったのです。

その山の麓に宏村と言う村があります。そこにある湖の周りには、多くが清の時代に建てられた家々が数百軒ほどあるそうで、ここも世界遺産になっています。そんな古い町並みを生かし、最近は映画撮影なども行われるようです。またここから60キロのところに昔、屯渓、今、黄山市があります。ここにはお茶の店や薬草の店、硯の店など多くの店があります。メイサイチャオピンと言う日本のお焼きのような名物のお菓子もあります。

そこには文房四宝と言う中国の4つの伝統的な文房具があります。①筆、②紙、、③墨、④硯を言うのですが、①筆は芯がしっかりしているのですが、毛先は柔らかいと言うのがここの特徴です。②紙は宣紙と言って紙の事ですが、屯渓から70キロにある村で作られているのですが、原料は青壇の樹の皮から作っていて、蔡倫という世界で最初に紙を発明したと言われる人の銅像がありました。ここですいた紙は千年持つと言われるほど有名です。1枚100元日本円で約1600円ほどもします。③墨は明からの伝統の技で、ここの特徴は黒色が深くほのかな光沢があるのが特徴だそうです。長くねかせるほど良いそうで、古墨と言われる物は100年以上もねかせた物を言い、非常に貴重な物だそうです。④硯は花崗岩(子石)を使うのだそうですが、これは密度が高くなおかつ重いので、川の底に沈んでいる場合が多く、模様の良い物がいいそうです。岩のような大きな硯で3万元、日本円で約50万円だそうです。そこには昇り竜と太陽が彫られており、とても単なる硯でなくまさに芸術品のようでした。良い硯は頬で擦ると赤ちゃんのような肌触りがするそうです。とこんな具合に黄山に育まれた町々があるのです。

それでは黄山はと言いますと、最近若い人たちが増えているそうです。ロープウェイで登ることができ、山頂付近で歩けば手軽に行けるようになったからでしょうか?頂上に上がればそこはまさに仙人が住んだと言われる、水墨画の世界が広がっています。あの有名な詩人李白もここの詩を読んでいるほど有名なところなのです。ここでのビューポイントは①迎客松と呼ばれる山水画に描かれる有名な場所であり、②猴子山かい?と呼ばれる猿が峰々を見ているような岩の所③天空にそびえるような細長い巨大な岩が立っていて、そこには松が生えている所④仙人指路と言う、仙人が指をさしている様な岩の所⑤天都峰?と言う仙人がここから峰々を見て、景色を楽しみながら宴を開いたと言われている伝説の所。⑥飛来石と言う天から巨大な石が降ってきたように見える所。ここには展望台があり、70以上もの峰々が見えると言う所です。もちろんここも世界遺産です。

とても口で表現できるような所ではないので、ビューポイントだけ説明しました。一度はこんな名勝に登ってみたいと、TVを見ると思ってしまいます。

2008年12月 1日 (月)

名古屋駅前のクリスマスイルミネーション

081201136 081201142 081201154                                        恒例の名古屋駅前・冬のクリスマスイルミネーションの時期がやってきました。と言うわけでその写真を載せます。今年はツウィタワーの隣の名古屋駅の上にきれいなお月様が出ていました。写真ではお月様の上に1個しか星がありませんが、その星の斜め右上のところにも、もう一つ明るい星があって、きれいな二等辺三角形の形に見えます。ひそかに気づかれた方もおられると思いますが、きれいでしたね。ただし星の名前は知りません。

写真は6枚で名古屋駅のツウィビルの半景と、クリスマスイルミネーションの遠景と拡大写真。それとビル前の広場でイルミネーションを2つ載せてあります。この時期何処でもこのようなイルミネーションのきれいな催し物があると思いますが、あなたの街ではどんなクリスマスイルミネーションなのでしょう。やはり大変きれいなんでしょうね。

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2008年11月28日 (金)

グラディエイターとコロッセオ

グラディエイターって言う映画を知っている人はいるでしょうか?もう8年も前の映画ですし、知らない方も多いかもしれませんね。あらすじは古代ローマ帝国を舞台に、陰謀に陥れられた英雄戦士がグラディエイターとなって、死闘を繰り広げると言うスペクタクルものです。コロッセオを舞台に無敵の剣闘士役を演じたラッセル・クロウが大変よかったと記憶しています。また、CGで描かれた巨大コロシアムや剣闘シーンの迫力がまたすごい迫力でばらしかったです。寸でのところで逃げ出したものの、妻子を無残にも殺され、あげく奴隷商人に捕らえられ、グラディエイターにされてしまったのですが、もともと帝国最強の戦士だったのですぐ頭角を現し、民衆の支持を集め、皇帝に復讐をするというものです。

舞台となったコロッセオは2000年も前に作られているのですが、ここには数多くの仕掛けがありました。皇帝にとってローマ帝国を治めるにあたり、民衆の不満を和らげると言う意味で、このコロッセオというものが非常に重要な役割を担っていたのです。民衆の心を惹きつける為に、趣向を凝らした格闘などをし、民衆から不満をそらしていたのです。そしてその主役がグラディエイターでもあったのです。このグラディエイターとは主に奴隷で、戦士にさせられ奴隷同士を戦わされ、負ければ即、死と言う残酷な戦いでした。その代わり強ければ市民から大いに人気が集まり、英雄のような存在にもなれ、おそらく奴隷を解放されたような気がします。

このコロッセオには5万人が収容できたと言うから大変大きなものです。今の競技場を比べてもまったく遜色ないほどで、それが2000年も前にあったことを考えれば驚愕ものでしょう。しかもそれだけではないのです。屋根は日よけのための目隠しがあり、開閉式だったと言うのですから驚きです。しかもそれはシルクで出来ていたそうです。豪華ですね。観客席は4階建てになっていて、1階は皇帝や元老院の人たちが、2階は騎士が、3階は市民、4回は女性などの身分の低い者になっていたそうです。

またこの建物の構造が面白いのです。二等辺三角形のような形になっていて、上に行くほど狭くなっているのです。と言う事はどういう事かと言いますと、上に行くほど空間が狭くなるので、通路も狭くなっているのです。そのためもしここで火災が発生したら、逃げる通路が上に行くほど狭いから逃げにくいと言うことです。だから逃げるときに1階はスムーズに逃げれるのですが、上に行くほど通路が狭いため、一度に多くの人が通ろうとしてもできないようにしてあったのです。つまり1階の皇帝や騎士が優先されていたわけです。

コロッセオの中の広場には猛獣が出て来て、剣闘士と戦わせるのですが、これがまた演出効果を狙っていて、急に地面から出てくるように見せるため、エレベーターで上がってきて、突如地上に現れるのです。その出口が観客の周りにあって、全部で32個もあるそうです。観客にとってはにくい演出かも知れませんが、グラディエイター<剣闘士>やその他の奴隷たちにとっては生きた心地がしなかったでしょうね。

またここはプールにも変身するのです。地下の至るところが防水性のコンクリートで固められていて、水を溜める事が出来たのです。競技場のトラックが全てプールになるのですから、それも2000年前にそんな施設があったなんてびっくりしません?今の競技場の中で、陸上が終わったら、今度は水泳競技を行いますなんて言われれば驚きますよね。そんな競技場が2000年も前にあったんですよ。そのとき日本は弥生時代です。そんな昔にこれほどの施設があったなんて驚きを通り越してしまいます。そしてここへ大きな船を浮かべて海上戦さながらの戦闘をしたわけです。戦闘と言ってはいけませんね。殺し合いをさせられたわけです。

なんて残酷な。現在に生まれていて良かった。でなかったら私なんか、あっという間に殺されていたでしょうから。

2008年11月27日 (木)

マイルストーンとローマ街道

マイルストーンって何だかご存知ですか?マイルストーンとは鉄道や道路の基点からの距離をマイルで表示した標識です。昔だったらストーンと言うのですから石で作っていたのでしょうね。この言葉でローマ帝国のマイルストーンを思い浮かべる人がいましたら、歴史好きな方だと思います。現在ではマイルを使う国よりキロを使う国のほうが多いので、キロポストと呼ばれている物と同じです。ヨーロッパではキロポストでマイルを使っているアメリカはマイルポストと呼ばれることが多いそうです。

私が思い出すのはキロポストですね。と言うのは以前極東ロシアに旅行したことがあったのでマイルストーンという言葉を聞くと、マイルでなくキロポストと言う事になるのでしょうか?何処へ行ったかと言いますと、ウラジオストクとハバロフスクと言う二つの都市の間を走っている、シベリア鉄道に乗ったことがあります。そのときに、ウラジオストクがシベリア鉄道の東の起点になっていて、ウラジオストク駅構内にキロポストがあったからです。

そこにはモスクワから9288キロと表示がしてあるのです。と言う事はロシアはキロ表示なんですね。ところでこのキロポスト実は見ていないんです。ここへ降りたとき、朝一番に着いたのですが、真っ直ぐ駅の食堂に行ったので、その時はここにあるということを知らなかったからです。残念です。ちょっと余談ですが、列車から降りたとき、ロシアの民族衣装を着た人たちが出迎えてくれ、歓迎のしるしにロシアパンと水で祝福してもらいました。きれいでしたよ。

話がだいぶそれましたが、マイルストーンと言えば何と言っても、今から2000年前の紀元前312年に作られたローマ街道ではないでしょうか?この頃の日本はと言えば弥生時代です。もうその頃に石畳の立派な道路を作っていたのです。もちろんのそれだけではありません。例えば水道橋やコロッセオなど、有名なものは数限りなくあります。いかにその頃のローマは最先端の文明国だったかということです。日本と言えば畑を耕していたくらいですからね。

このローマ街道の歴史はアッピア街道から始まったのですが、軍隊の迅速な移動を目的としたものだったのです。だからローマ街道はカーブのない真っ直ぐな道が多いのです。その長さはなんと地球2周分の8万kmもあったそうです。これによって郵便も発達したのですが、それ以外にも交易も発達し、人々の往来も激しくなりました。そんなわけで8キロおきに馬の交換所もあったそうです。そんな大切な道路だったので、水浸しにならないよう道路にも工夫がありました。大きな石や砂利などを敷き詰め、傾斜を作って排水がスムーズに出来るよう工夫してあるのです。すごいですね。

道路ですので馬車なども往来していると思います。だからその石畳には輪だちのあとがはっきり今も残っているのです。輪だちの幅は1m43,5cmです。これが深く刻まれ現在もあるのです。この幅を聞いてピンと来る人はすごいですよね。実はこの幅は日本の新幹線のレールの幅と同じなんです。新幹線は1964年に作られたのですが、ご存知のように新幹線は国際標準のレール幅を採用しています。従来線は狭軌道ですが、新幹線は広軌道のレールを使ったのです。

それでは、この世界標準とも言うべき広軌道のレール幅は何から取られたかと言うと、世界最初の蒸気機関車ロコモーションのレール幅からです。ではこのロコモーションの幅は何から取られたかと言うと、それは石炭トロッコから取られたのですが、このトロッコがローマ街道の輪だちの跡だったのです。鉄道のレール幅は何であんなに中途半端ななんだろうかと思ったら、巡りめぐってローマ街道の輪だちの幅だったんですね。歴史は繰り返すといいますが、やっぱりそうでしたね。えぇー、ちょっと言い方が違いやしません?

2008年10月19日 (日)

理想郷と言われ、悲恋の街とも言われた麗江

中国の都市では一般的に城壁で囲まれているのが普通ですが、ここ雲南省・麗江の旧市街の周囲には城壁が存在しません。伝承によれば麗江を治めた王朝が、当時の皇帝の名「朱」から兜を取った「木」という名前を与えられ、木氏と姓を改め街を治めたそうです。そして麗江も異民族の脅威に直面することもあったのですが、木氏が統治する地域を城壁で囲むと「木」が「困」になると言って嫌い、城壁を作らなかったと言います。実際は街には水路が入り組んでいて城壁の建設が困難な上、防御効果もなく、治水の面でも城壁が不利になるとして作らなかったのではと言われています。ウィキペデアより

そんないわれのある麗江は、瓦が波打つかのごとく並んでおり、まるで日本のどこかに来たような感じさえする美しい古都です。古くはチベットからお茶が運ばれてくる中継地として栄え、それには水が必要になると、木一族が水を麗江に引いたのが始まりです。だから至るところに水路が開かれており、夜になると日本の流し灯篭のような風景にも出会うこともでき、幻想的な夜を見る事もできます。街にはこの水路を使って街を掃除する設備も古くからあり、それが今も街中をきれいにしています。地下に流れている水路から、蛇口を捻ると水が路上に流れるようになっているのです。だからあっという間に街中がきれいになります。これなどはTVでも紹介されているのでよく知られています。

ヒマラヤ山脈に連なる玉龍雪山は麗江のシン族の人たちにとっては霊峰と呼べるような山で、高さは5596メール・北半球では最も南にある氷河から溶け出す水が麗江の水源になっていて、周囲を山々に囲まれた山紫水明な所です。水はさらさらと瑞々しく流れ、800年にわたり文化を継承してきました。氷河から溶け出した水は黒龍澤という大きな池に集められ、ここから麗江の街に水が送られるのです。このように麗江は雲南省の北西高原にある美しい街として人々があこがれる“シャングリラ” (チベット語:素晴らしいところ)と言われていた所でもあります。もともとはイギリスの作家ジェームズヒルトンの失われた地平線に出て来た理想郷(シャングリラ)の名称だったのですが。今ではもっと奥地にシャングリラと名前を変えた町があります。

玉龍雪山は死者の魂が登る山でもあります。古くは親が決めた人としか結婚が出来なかったため、結婚を認められなかった人たちが、この山のふもとで多くの人が自殺をしたと言う、悲しい歴史もあるのです。遊悲という民謡には、私は死の世界にいく、でも魂は残る、私の首を縛っている紐をなたで切って、布に包んでくれるだけでいいと言うような悲しい話の歌です。そのため心中を奨励するとして長く禁止されていたのだそうです。そんなわけで麗江は悲恋の街でもあり、伝説となって今に伝えられているのです。

麗江ほど水を賢く使っている民はいないそうで、水路が町中に張り巡らされていて、水路の上段は飲料水として、その下は野菜を洗うところ、そのまた下は洗濯をする所と言うように水を使い分けているのです。また街を歩く女性の服にはどこかに青色が使われていると言います。それはこの麗江のきれいな水を表しているそうです。また麗江の女性は勤勉なので、お嫁さんとして引く手あまたと言われています。これ以外にも灯篭流し(これが日本に伝わったなんて言う話も聞いた記憶があります。そのくらい日本文化と類似したものがあるのでしょう。)や水を使った掃除設備があったり、水がこの街の人たちの一部になって溶け込んでいるのです。

このほかトッパ文化としてトッパ象形文字やトッパ舞、ナシ古楽や楽器など少数民族のシン族の町としてチベット文化や中国文化を取り入れて独特の文化を育んできた所なのです。そして1997年世界遺産に中国として始めて登録されたのです。

2008年10月18日 (土)

観光立国と言っても?

日本を観光立国にするんだということで、2000年に法律が変わり自由化がされました。それによって航空会社が自分で路線の廃止が出来るようになったのです。ところが自由になったのは言いのですが、今回の燃料高騰で、経営が苦しくなり地方の路線の廃止や便数の減便が増え、地方での飛行機の利用がだんだん不便になってきているのです

そのため地方から飛行機を使って海外や他の地方に商品を売って活性化しようと思っても、航空会社が地方の路線から撤退したり減便しているため、利用できなくなったり不便になったりしているのです。また空港自体も、ここ最近、空港の数が100箇所から47箇所に減っているそうです。これではますます飛行機を使って商売をしようにも利用しづらくなってしまいます。あるいは観光客を伸ばすにしても大都市圏だけでは観光客を増やす事はできません。もっと地方も外国から行きやすくしなければ増えません。

今回の燃料費の高騰により、JALが採算の悪い地方の福山空港の路線を廃止すると年間25万人もの人が減ると言います。それは燃料の高騰で採算が悪化しているからです。例えば燃料を一番使うのは機体が重くなるからという訳で、食事出すときの食料や器の重さを減らすと、年間で7億円も減らすことができるというのです。いかにジェット機にとって、機体の重量が軽いほうが良いかと言う事が分かると思います。こんな食事のような些細な事でも、これだけ節約できるのですから燃料の高騰は死活問題だということです。

日本の空港の現状を見ると、開港して間もない中部国際空港も便が減ったりしていたりして、今回初の赤字になると言います。関西でも今3つの空港があり伊丹は当初関空が出来たら廃止と言っていたにもかかわらず今も存続しているし、かと言って関空に設備投資をするかと言えばしないのですから、一体どのように関西地区の航空行政をするのかということがハッキリしないのです。今度の新しくできる静岡空港は106万人の利用者数を見込んでいますが、計画を下回る事は確実だと言われています。これら地方の空港はほとんどが国のお金で作られているのです。にもかかわらず一方では、羽田では発着枠のアップが図られていて、航空行政が東京集中するような政策が取られています。東京しか目が向いていないのかと言うことであり、東京と地方では格差が広がっています。どちらも同じ国の空港なのにすべてを見渡した空港整備というものが感じられないのです。

そんな中、福岡空港には年間10万人もの人が利用しており、そのうちの56%は韓国の人が利用しているそうです。その理由を韓国の人に聞くと、運賃が安く、温泉もあるし、東京にも近いという事だそうです。韓国から日本にくる路線の数を見ると数え切れないくらいの路線が、日本中の空港に就航しているのですが、日本には外国との窓口が6つしかないのです。こんな状況ですから、外国人も韓国に来てから日本に来る方が便利が良いのです。直接地方まで飛行機で行けるからです。ところが外国から直接日本の空港である成田や関空に来てもそれからの就航便が少なかったり、なかったりするので、直接地方に行く場合は不便なのです。

このように日本は成田と羽田に集中しており、韓国のように、あらゆるところから日本に行けるという体制になっていないのです。反対に言えば韓国は飛行機の利用が便利だということです。東京の成田や羽田に集中している日本と韓国とでは便利さが格段に違うのです。目が東京ばかり向いているかのようなのです。何も地方に空港を増やせと言っているのではなく、今ある地方の空港をもっと活用しなければもったいないということです。片肺飛行のような成田で東京からは遠く不便で、発着料の高い成田では、安くて接続の多い韓国のインチョン(仁川)国際空港と比べても勝負にならないのです。観光立国と言いますがこんな空港状況では利用がしにくく、不便な日本を通り越し、韓国から来日しても仕方がないですね。

2008年9月24日 (水)

世界遺産:カナダの恐竜自然公園

080803009 カナダと言うと何を連想しますか?個人的にはかえでの葉でしょうか?つまり国旗そのものですかね。カエデの葉の国旗って結構有名ではないでしょうか?国旗の話のついでに国名について言いますと、先住民イロコイの言葉に由来し、「村」あるいは「集落」を意味するそうです。話を戻しますと、あと知っている事と言えば、ナイヤガラの滝とかバンクーバーという町の名前も思い出します。バンクーバーという街を知っているわけでもなくただ名前を知っているというだけですが。それとフランス語と英語が公用語になっていて、フランス語圏のケベックは独立という話が出るほど独立志向が強いとか、公用語はフランス語となっていて、他の州とはちょっと雰囲気が違っているというような事でしょうか?

今回は世界遺産であるカナダ、アルバータ州立恐竜公園について書きます。カナディアン・ロッキーにあるこの公園には、奇岩が林立する荒涼とした平原が続いており、7千万年前の白亜紀の地層がむき出しになっている稀有なところであります。この平原からは35種類にも及ぶ恐竜の化石が見つかったこともあり自然遺産に登録され、完全な恐竜の骨格が150体以上発見されていることで有名なところです。いまこの公園は寒冷地帯ですが7,500万年前は豊かな森林と植物に覆われた亜熱帯気候のところだったのです。そんなわけでその頃はいろいろな種類の恐竜が闊歩する天国のようなところだったのです。さらにここで発見された化石から群れで活動する草食恐竜の生態などが明らかになり、今までの恐竜は単独で行動するという常識を覆すきっかけとなったところでもあります。

このように多くの恐竜の骨が見つかることでも有名なため、素人で恐竜の骨を探している人も多く、マーシャルさんという人が見つけた恐竜にはこの人の名前がついているものがあるくらいです。恐竜の骨を見つけるとそれをクリーニングするのに例えばアルバートサウルスくらいの恐竜の頭骸骨になると2年もかかると言い、その作業というのはかなり神経と時間を使うもので大変な作業のようです。このアルバートサウルス(ティラノサウルス系の恐竜)は○○サウルス(草食恐竜か?)という恐竜と戦っている最中に、何らかの事故でそのまま骨になっていたところを発掘され、その姿を見ると生存していたときのことが想像されるほどです。というのもこれと同じかどうかは分かりませんが、確か東京で恐竜博があった時に、これと同じような格好で骨になっている恐竜たちを見たことがあったからです。

このような姿を恐竜博などへ行くと見ることができ、写真もだいぶたくさんになってきました。もしカナダの恐竜博物館に行ったら、このような恐竜の他に珍しい恐竜の骨などがたくさん見ることができるのではないかと思うと、一度はこの地に行って見たいなと思いつつテレビを見ていたしだいです。この地球上で今までいた生物の中で最も大きかった恐竜。1億6000万年も繁栄した恐竜の姿を骨格という形で現代に甦った恐竜を見る事は想像するだけでも楽しいものがあります。そんな恐竜たちの骨格を生で見てみたいと言うのは恐竜ファンでなくともワクワクするのではないでしょうか?

http://jp.youtube.com/watch?v=Xw8VyPc2t0U&feature=related

2008年9月20日 (土)

外国人が見たNIPPON

http://jp.youtube.com/watch?v=xSb5kcFnQWQ&feature=related

http://jp.youtube.com/watch?v=j-YhxKBv2qM&feature=related

日本にやってくる観光客の数を日本政府観光局のデータから見てみました。その数字(概算)を下記に書きました。

2006年は498万人、前年対比伸び率14%

2007年、595万人、前年対比伸び率19%

2008年、263万人(5月まで)

これを見ると二桁成長も20%を超えそうな勢いで観光客の数が増えているのがわかります。

外国人訪日数で見ると2007年には過去最高の800万人を突破しており、10年前の2倍近くになっているのです。その主な理由のひとつはヨーロッパやオーストラリア、カナダなどから見て円安基調が続き、日本への旅行に割安感が出ているためと、中国やインドなどで海外旅行できる富裕層が増えていることなどもあげらます。もう一つの理由は、最近日本のカルチャーが海外で人気があることです。特にアニメ・漫画などの日本のサブカルチャーに注目が集まっており、本場日本の漫画文化に触れたいからと、やってくる外国人が増えていると言います。

外国人の観光客が増えてくるとよく言われるのが日本のこんなところが変とか、こんなところが良いとか言う話をよく聞きます。そんな外国人から見た日本のあれこれを納めたビデオがありますので、外国の人の話を聞くのも日本を理解するのに役に立つと同時外国の人の見方などが分かりなかなか興味深いと思います。

そしてそれによって外国人を理解するという事も、また日本にとってグローバルな時代だからこそ、外国を理解するという事は必要な事だと考えます。そう言う意味でこのビデオは過去の番組のようですが良いのではないでしょうか?日本人の知らないようなことに驚かされますよ。№1と2のものをご覧下さい。

2008年9月12日 (金)

ネットで行く外国:スウェーデン

スウェーデンって聞いたときイメージするものは何でしょうか?北欧の国、ノーベル賞の国、福祉の国、森と湖の国などでしょうか?日本人の思っているイメージと実際のイメージはちょっと違っていて、個性を尊重するから例えば同性愛を受け入れるとかなどに寛容であるそうです。また美術館が多いところでもあるようです。それと環境にやさしい国といった感じでしょうか?言葉で言うと例えば、日本だと「和を持って尊しとする」などが日本人の気質をよく表している言葉だと思うのですが、スウェーデンでは「ラゴムの精神」が大切だと言うのです。ラゴムとは「調和」とか、「ほど良い」と言う意味の言葉だそうです。つまりあからさまに相手の意見に反対しないとか、強引に自分の意見を通そうとしないで、ほどほどのところで妥協するといった感じだそうです。どこか日本の「和を持って尊し」とどこか似ていません?

それではスウェーデン人と日本人が似ているかと言えばそうでもないようです。「どちらかと言うとインドに似ているというのです」と聞くと、えぇーそうなんですか?スウェーデンのような先進国でそのようなことがあるんでしょうか?とつい疑いたくなってしまいます。インド人はきのう言ってこととまったく反対な事を今日言ったとしても、それを困ったとか恥ずかしいとか思わないのだそうです。例え責められても「昨日の事は忘れた」などと平気で言うようです。これは悪意があるのではなくカルチャーだと言うのです。そんなところがスウェーデンにもあるそうです。スウェーデンでは徹底した個人主義であるため、他の人の仕事には一切タッチしないが、その代わり任せた職には権限を与えているため、基本はもちろんルールに従っているが、状況に応じて対応が変わる余地があると言うのです。つまり権限を持っている人が情状酌量の余地があるということだそうです。しかしそんな事をすれば日本などでは私利私欲に走る人がでそうですが、しかしそこはスウェーデン、成熟した社会と言う事でそう言うことはないそうです。だから担当者によって当たりはずれがあるため、あっちこっちたらい回しではないですがそんなところがあるそうです。つまり担当者個人として業務をこなしている面があるため、そこへたどり着くまでにあっちこっち部署を聞き回らねばならないようですね。http://sw-kidoairaku.hp.infoseek.co.jp/index.htmより引用

何かこんなことを聞くとスウェーデンのイメージが崩れていくようです。日本の「和を持って」とは似て非なるもののような感じさえしてきます。とは言ってもスウェーデン人がだらしないというわけではないと思います。個人主義が徹底しているために起こる問題のような感じがします。ここはまた国王のいる国でもありそう言う意味では日本と似ているかもしれませんね。それと公務員の多い国でもあるようです。公的部門の人数は実に33%を超え全体の3分の1にも達する(日本は9.5%)そうです。そして労働参加率が高く特に女性の労働参加率が高い(スウェーデン76%、日本48%)のだそうです。そしてその女性の社会進出の場になっているのが公務員の福祉部門である。つまりスウェーデンにとって福祉国家と男女平等はそれ自体が国家と経済を支える重要な柱となっているのだそうです。

こう見るとスウェーデンってちょっと異質な国なのでしょうか?今まで思っていたイメージとはちょっと違った面を知った思いです。

2008年7月30日 (水)

北京の生い立ちとラストエンペラーの天安門

いよいよ北京オリンピックが近づいてきました。開催日は2008年8月8日午後8時8分からと縁起を担ぐ中国らしい開催日時になっています。そんなオリンピックまで後10日をきりましたが、このところの石油価格の高騰で飛行機代が高くなり、特にその中のチャージ代が高いため航空運賃が割高となり、オリンピックに行くと言う人が予想よりもだいぶ少ないような事を聞きました。農薬野菜や食品偽装問題を始めとし、北京での大気汚染の事なども重なり、思わぬ逆風にすっかり北京オリンピックの熱も冷まされてしまったかの感じです。とはいえ北京と日本の時差は1時間と少なく、距離が短いためオリンピックを見たいと言う人も多いかと思います。今日はそんな北京の歴史などを振り返り、北京についていろいろ知識を少し見てみたいと思います。

北京は女真族の金と言う国が初めて国の首都としました。しかしこの時は100年ほどで滅びてしまったのです。その金を滅ぼした国と言うのが有名なモンゴルのチンギス・ハンの孫であるフビライ・ハンだったのです。そしてこのフビライ・ハンがモンゴル帝国の王になって帝国の首都としたのが今の北京の元となった大都と言う都だったのです。このときフビライ・ハンは理想の都を作ろうとし、モンゴル式でなく何と中国式の都を作ったのです。それは中国では理想的といわれる儒教の理念に基づいて作られたので、真四角の城壁に囲まれ、中心に宮殿を配置し、街路は碁盤の目のように作られ、その間をうめるように作られた胡同と呼ばれる細い路地で出来ており、今も北京の街に残っています。しかしオリンピックのため急速に開発が進み少なくなっているそうです。さらに宮殿の中には太液池と積水澤と名づけられた池も作り、何種類もの魚を放流し皇帝が好きなときに魚が釣れるようにしているのです。これが今の北京で北海公園と呼ばれ親しまれている公園なのです。そしてこの池を掘った土を使って出来たのが、紫禁城の北に人工の丘、万寿山を築いたのです。これが現在の景山です。この大都を見てマルコポーロは東方見聞録の中で「広大で華美なもので、これ以上すばらしいものはない」と言っています。

そして金、元と北方系の諸民族の都だった今の北京も、再び漢民族の都になるときがきたのです。それが朱元章が興した明です。最初は現在の南京に都を置いたのですが、永楽帝のときにまた北平(元の大都)に都を移したのです。そのときに初めて北京と言う名前になったのです。ここに今の北京の原型が名実ともに完成したと言うわけです。永楽帝は20年かけて大都を改築し、紫禁城を建造しました。その紫禁城には多くの彫刻がありますが、最大のものは長さ16,7メートル、幅3メートル、厚さ1,7メートル、石の重さ300トンと言うとてつもなく大きなものがあります。これをどうやって運んだかと言うと、北京の南50kmにある房山から切り出されたもので、冬に水をまいて氷の道を作りその上を滑らせて運んだそうです。これを造るために2万人の人が駆り出され、馬が1000頭も使われたというのですから時の権力のすごさを感じます。

これは一体どこに使われたものだと思いますか?大和殿の後ろにある保和殿の北側に使われているもので、雲竜御路や大石彫と呼ばれ現在でも見ることができるそうです。清代には皇帝の宴会場に使われたり、終わりごろには科挙の試験場にもなったそうです。そこは皇帝が輿に乗って両側を輿を担ぐ家来が通るように作られており、普通の人はそこを利用できないのです。さらに大和殿前の広場は地下から進入されないように7層にわたってレンガが埋められているというのです。用心深いと言うか警備対策も並みの施しようではありません。

このほかによく聞く名前に天安門と言うのがあります。これは女真族であるヌルハチが満州で建国しのち清と改め、明の崩壊とともに北京に乗り込んで来て、そのまま自分たちの都にしたのですが、そのとき名前だけは自分たちの名前に変えて使ったのです。明代には承天門と言ったのですが、清になったときに天安門と変えたのです。これは紫禁城への出入り口だったのです。明や清の時代はここで勅書を発布する場所で特別な場所だったのです。紫禁城は天上世界であり天安門はその天と地上をつなぐ出入り口だったのです。そして清朝最後のとき、この天安門で最後の勅書を出したのがあの有名なラストエンペラーの溥儀だったのです。そしてそこで清朝最後の皇帝としてラストエンペラーとしての退位宣言をしたのだったのです。今では誰でもそこへ登ることが出来ます。

紫禁城についてちょっと知るだけでも知っている知らない戸では興味の持ち方に大きな違いが出ます。もし北京オリンピックに行くようでしたら、少しでもこういった歴史を知っていると、話を聞いても新鮮な感じで聞くことが出来ると思います。

2008年7月10日 (木)

五輪直前の中国のニュース

いよいよ北京オリンピックも近づいて来て、1ヶ月を切りました。そんな中今回の洞爺湖サミットで胡錦濤主席と会ったブッシュ大統領が五輪バスケのチケットがほしいとおねだりしたそうです。打ち解けた雰囲気を演出をしたつもりのようですが、任期切れ間近と言ってこんな話をサミットで持ち出すの?、「何これって」と言う感じですね。一方中国ではオリンピックを記念して五輪記念紙幣(10元)が出たようです。日本でもそうですが記念紙幣が出ると言うと、必ず並ぶ人が出てくるのです。今回も大勢の人が並んだようで、それも一人1枚だけだそうですので並ぶのも大変ですね。

オリンピック会場のある北京では大気汚染が酷いので競技に影響しないか心配されていますが、北京市環境保護観測センターによると、6月に北京市で大気の質が基準に達した日は、去年同月より9日増えて24日となり、6月の全日数の80パーセントを占めたと報じられています。。これは、北京の大気の質が全体的に良好で、大気汚染防止対策が効果をあげていることを示しているということのようす。またオリンピック会場の一つである、青島市ではではこんなハプニングもありました。セーリング競技が行なわれる山東省青島市の周辺海域で、緑藻類が大発生し、海岸に漂着したアオサの取り除き作業で市民数万人が動員されたそうです。数万人ですよ!すごいですねー。しかし競技に影響が出るかもしれないと言う事で選手もやきもきしているでしょうね。

五輪開催中は大気の質を向上させ、交通問題を解消するため、今月20日から2ヶ月間、日付が奇数の日にはナンバープレートの末尾が奇数番号の車、偶数の日には偶数番号の車のみが運転することができるようにするそうです。そのため政府は北京市民に与える不便を考慮し、道路使用料などの減免措置で税金の減免をするそうです。規制の実施期間は1ヶ月ですが、3ヶ月分の使用料が免除され、この措置により「私は600元節約できる」との声が聞かれたそうです。日本では考えられないような事だと思いませんか?何が何でも五輪を成功させると言う中国政府の意気込みを感じます。

こんなちょっと物騒な話しもありました。中国軍は8日、北京五輪の安全防衛に使用する地対空ミサイルの存在を初めて認めたそうです。清華大学国際メディアセンター特約研究員で軍事問題専門家の宋暁軍氏によると、中国軍は紅旗系列ミサイルの具体的データを公表していないものの、これらのミサイルは五輪のメインスタジアムである国家体育場(通称:鳥の巣)に危害を加えるヘリコプター、無人航空機、巡航ミサイルなどを阻止し、会場の安全を守るのだそうです。今はテロなどもあるので一概に滑稽と言うわけにはいきませんが、それだけ中国国内も物騒だと言う事でしょう。

最後に中国南西部を大地震が襲ってから、ひと月あまりが経ちましたが、地震によって、貴い人命が数多く失われましたし、生活基盤である家屋が使い物にならなくなり、町全体が消えてしまったところもあり、経済的な損失はもちろんのこと、中国人に与えた心理的ショックは非常に大きなものでした。しかしこの地震が切っ掛けとなって、逆に中国人としての団結力が高まり、ナショナリズムもさらに高まり、中国の人民が一体となって、立ち向かおうという気持ちが高まっていると言います。これは地震の前から高まっていましたが、地震がきっかけとなり、さらに強固なものとなったようです。開催前に高まった愛国心に火がさらに燃え上がり、これで中国にとってはさらに金が続出か?と言う感じです。

2008年6月28日 (土)

第二のサルの惑星・ドバイ

世界のお金持ちの国と言うと最近ではドバイを思い起こします。街全体が金満の街で砂漠に現れた蜃気楼のようです。表の華やかさとは裏腹にそこで働く人はみんな出稼ぎ労働者の人で、最低賃金以下の生活をしていると言われており、貧富の差は大きいのです。とは言っても出稼ぎ労働者と言う事でドバイ人ではないので、ドバイ人は金持ちばかりと言う事でしょうが。そんな金満ドバイの象徴はブルジュドバイともう一つはパームアイランドやワールドですね。ここには世界中から富豪と言われるような人たちがこぞって別荘を購入してます。

そんな中、現在もドバイでは不動産ブームが続いているわけですが、何と言っても人口140万人しかいない国で、国の基礎となるような製造業があるわけでもなく、あるのは金融と観光だけと言う国で、果たしてドバイの統治者が描くような繁栄がいつまで続くでしょうか?一般的に言うところの産業は無い、人もいない、そんな状況で国の人口が増えていくと思われますか?それもこの国の人口の半分は出稼ぎ労働者が占めているわけで、実質の人口は70万人くらいしかいないのですから、どう考えても常識的には都市国家として今後も繁栄していくというのが考えられないのです。

ここの統治者である国王はこの国の人口を1000万人にすると言いますが、夢のまた夢のような気がします。そうするために国王は箱物を作り続けると言うのです。そうすれば人はついてくるというのです。でから次から次へと世界中が注目するような建築物を建てては注目を集め、資金を世界中からかき集めようとしているのです。そんな開発手法がいつまでも続くはずがあるわけがないのです。それに加え最近の資材の高騰で建設費が高くなり、また建設労働者を集めるにしてもわざわざインドなどから人を集めることが出来なくなってきているのです。インドも最近の経済成長で生活水準が上がってきており、給料も上がってきているからです。だからわざわざドバイまで出稼ぎに行く必要がなくなってきて人が集まらなくなってきているのです。記憶が確かならドバイの苛酷な労働条件で働いてもインドで働いても1,5倍程度の差しかないそうです。そうなると無理してドバイで働く理由がなくなってきているのです。つまり建築コストが上がり、箱物を作るにしても資金を外国から調達する必要が出てきているのです。

だからドバイの不動産ブームと言ってもそろそろキナ臭い匂いがしてきているような感じがするのです。ドバイで不動産ブームと言っても、投資をしている人たちが建物を買い占めているだけで、実際にそこに住む人がいるわけでもないのです。単に土地建物を売買してその差額を売り抜けて稼いでいるだけなのです。こういうのを投機と言うのですが、賢い人はそれを見抜いており、そのうちこのブームが去ったら不動産が大暴落すると心配し始めているのです。だからそのためババを抜かないよう、自分の不動産物件を他の人に売りつけ、自分は売り抜けようとしている人も現れているのです。つまり自己物件を金に代えて財産の保全を図りだしている人が現れてきているのです。

箱物を作れば人はついてくると国王は言っていますが、事はそんな単純な話ではないと思います。生活環境としてはそこは砂漠であり、一般的に考えれば劣悪な環境であるのですから、人が大勢住めるところではないのです。1000万人都市なんて夢のような計画を立てているようですが、それこそ金の切れ目が縁の切れ目で、砂漠に咲いたあだ花として一気に崩れ去るのではないかと思います。つまり砂漠の蜃気楼と同じだと思うのです。今そこにいる人たちは今が良ければ言いという人たちであり、そこで儲ける事が出来なくなれば別のところにいけば良いという人たちしかいないのです。だから砂漠の蜃気楼として消える前に一度行ってみますか?遅すぎると映画「サルの惑星」で見た砂に埋もれた「自由の女神」(=ブルジュドバイ)を見るようになるかもしれませんよ。

2008年6月24日 (火)

モンゴルの子どもたち

P1110479 モンゴルの宿泊地の近くにある丘から帰ってきたところで、子供たちが羊の番をしているところでしょうか?分かりませんが、座って羊のほうを見ていたので近づいていって写真を撮らせてもらいました。何かちょっとしたものであげれるものはないかとポッケを見ると、ちょうどボールペンを持っていたので子供にあげました。旅行に行くときにちょっとした物を持って行って現地であげると喜ばれると書いてあったので用意していたものです。もちろん日本語が分からないのでわけが分からないような顔をしていましたが、ボールペンをあげたらニコッとしてくれたように思いました。もってきてよかったかなと少々感じた一瞬でした。ボールペンなんかは珍しくもなんでもないですが、消しゴムで消せるところがいいかなと思って持っていったものです。でもこれは大人は喜びませんので、運転手さんやガイドさんに上げましたが、やっぱりタバコだったかなと思いました。

向こうにはここで生活している遊牧民のゲルの1つが見えます。でもゲルがひとつしかないので生活の中心としてのゲルではないのではと勝手に思いましたが、羊か何かを入れる囲いや、馬と荷車などがあるので生活はしているのは確かでしょう。のどかな風景です。こういうところで平和に過ごせるのも幸せなことだとは思います。でも実際の生活は結構大変だとは思いますがね。ここできれいでない話を1つ。実際のモンゴルに来て始めて分かったと言うか現実を見たと言いますか、この風景のように開放感ある広々した草原で自給自足の生活というと、自然にあこがれる者にとっては大変いい場所ですが、1ついただけないものがるのです。それはゲルの周りに散らかっている多量の糞です。都会の人がただ田舎に憧れてる生活と実際の生活は例えばこうな風に違うのかなあと感じました。これは思っていることと実際のギャップのほんの1つの例ですが、ちょっと歩けば糞に当たるというくらいたくさんの糞であり、きれい好きな人ではちょっと我慢できないかもしれません。これはただ見ただけの表面的なことですので、実際にはもっとたくさんの想定外のことがあると思います。私たちは単なる旅行者ですので、きれいなところを見て帰ればいいのでしょうが、なぜかそんな現実を見てしまったような気分でした。それに付随してそれに群がるハエと蚊の大群にも参ってしまいました。砂漠に向かって歩いていたときのことですが、追い払っても追い払っても次から次へと体にまとわり付いてくるのです。ハエは追い払えばまだそれですみますが、蚊の場合は刺されて何か病気にでもなったら大変だと思いました。知らない間に腕とか顔などの肌の露出しているところを所かまわず刺して来るので追い払うのに大変でした。変な病気を媒介するような蚊はいないとガイドさんが言っていましたが、でもやはり心配ですよね。

2008年6月20日 (金)

ブラジル100周年Ⅱ:ブラジルの素顔

ブラジルの横顔。ブラジルはGDP世界10位の経済大国で、新興勢力BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)の一角として経済大国の道を歩んでいます。

人口

1億9179万人(2007年推計)

国土面積

851万4877平方キロ(日本の約22,5倍)

元首

ルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバ大統領

政治体制

連邦共和制

主要産業

製造業、鉱業、農牧業

国内総生産

1兆677億ドル(2006年)

貿易

全輸出額の36%が農産品とその加工品。

2005年では鶏肉、牛肉、コーヒー、オレンジジュースなどの輸出量が世界一。

人種

白人54%、混血40%黒人5%、アジア系1%

先住民0,2%

公用語

ポルトガル語

日系人の生活

世帯別では日系2世が最も多くついで3世。主婦や子供など仕事をしていない人が半分以上を占め、職業としては商業、農牧畜産の従事者が目立つ。一方仏壇の所有や箸の使用なども高い割合を示したが、調査の対象が日本人会などに入っている人が中核だった事と関係しているかもしれないと言います。

1世帯当たりの人数は3,76人で日系人同士の結婚は54,1%、ポルトガル語の使用は夫婦間で40,7%、子ども同士では76,8%です。朝食時に味噌汁は毎日飲むが31,8%、時々飲むが63,7%、箸を使う場合いつも使う42.1%、よく使うは17,6%たまに使うは34%です。日本語新聞を購読しているのは23,6%、NHKを見る人は34,6%。

ブラジルの素顔・・・サッカー、サンバ、カーニバル、アマゾンなどは多くの人が抱くブラジルのイメージです。しかしブラジルはアートやカルチャーなど今まで知られていなかった姿もあります。ファッション、映画、アート、航空機産業をご紹介します。

ブラジルファッションがトレンドになるかも?

ジゼル・ブンチェン・・・もっとも有名で高給取りのスーパーモデルの一人。

アレキサンドレ・へルコビッチ・・・NYで人気の高いブラジルのデザイナー。

ブラジルファッションナウ・・・最新のブラジルモードを日本に紹介するイベント

映画

ブラジル映画を世界に発信

シティ・オブ・ゴッド・・・フェルナンドメイレレス監督の作品2004年アカデミー賞で監督、脚色など4部門でノミネート。

ベルリン国際映画祭最高賞

セントラル・ステーション(ヴァルテル・サレス監督) 1998年に金熊賞を受賞。

ジ・エリート・スクワット(ジョセ・パディーリャ監督) 2008年に金熊賞を受賞。

アート

オスカー・マイヤー

昨年暮れに100歳を迎えた建築界の世界的巨匠。ブラジルの首都ブラジリアの主要建築物などを手がけた。

航空機産業

エンブラエル社

民間航空機メーカーとしては世界第4位。小型機シェアでは世界一。

以上中日新聞より抜粋

2008年6月19日 (木)

ブラジル移住100周年

今年はブラジル移住100周年に当たります。100年と言う歳月は人の人生が長くなったと言っても、それでもまだ100歳まで生きる方は少ないと思います。ほんの60年少々前には日本とアメリカが戦争をしていたなんて知らない若者がいると言うほどですから、ましてやそれより前のことともなれば、ブラジル移民の事を知っている人がほとんどいなくなっているとしても不思議ではないのです。しかしわずか20年足らず前までブラジル移住は続いていたのです。えぇーそうなんですか?という声が聞こえてきそうなくらい知っている人は少ないのではないでしょうか?ブラジルに移住していたのはもっと昔の話だと思っていた方が多いでしょう。そ言う私もその一人です。移住ブームが去った後もまだブラジルへの移住は続いていたのです。

日系ブラジル人が出稼ぎでやって来るようになったのは1990年代前後からで、そのころから急激に日系ブラジル人の人の姿が目に付くようになりました。この人たちはブラジルに行った日本人の子孫になるわけで、住んだところは違っていも日本人の血を引いている人たちです。ところが現在はその子孫の人たちが祖父の地で危険な外国人として警戒され、差別されているいるのではないでしょうか?生まれが違えば話す言葉も違ってくるし、考えも違っているかも知れませんが、同じ日本人の子孫として偏見や差別に苦しむと言うのは遣る瀬無いですね。反対に言えばこの日系人の中から今後のブラジルと日本とのパイプ役になってくれる人たちがいるはずで、いまやブラジルも南米第一の経済大国であるし、いずれは世界の超大国になるやも知れぬ国です。その中において日系人は日本のよく理解者となってくれるはずです。

日系ブラジル人の方が多く住んでいる自治体は何処かと言いいますと、一番多いのは愛知県で30,583人です。その中でも一番多い市は豊橋市で12,399人です。以下豊田、岡崎、小牧となっています。次に多いのが静岡県で26,783人でその中でも浜松市が多く19,267人です。後は磐田市が多いですね。その次は岐阜県で9,286人です。以下三重県の鈴鹿市4,927人、群馬県の大泉町で4,891人です。とこんな具合です。これを見ると東海三県に集中していることが分ります。例外は群馬県の大泉町ということです。合計で76,470人です。何で東海三県に集中しているかというと多分愛知県にトヨタ自動車がありその下請けや関連会社に行っている人が多いからではないでしょうか?

出稼ぎの目的を見ると生活資金の送金と思われがちですが、意外とそうではなく、ブラジルの最低賃金の5倍以上の人が半数を超えており、生活に困窮と言うより生活の質の向上や将来設計、日本を知ると言った出稼ぎ目的が見られるそうです。つまり出稼ぎ以前の月収を見ると、最低賃金の1~5倍未満が一番多く43,1%、次が5倍~10倍未満27,5%、10倍~20倍未満が18,3%、20倍以上が7,3%で、1倍以下はわずか3,7%しかいません。ではその目的を見るとどうかと言うと、最も多い目的が日本を知るの41,5%、次は新商売の資金獲得が34,5%、以下住宅の購入が29,1%、生活資金の送金26,4%、自動車購入17,5%となっています。ここでも生活資金の送金は多くありません。70%以上の人は生活資金以外の目的で来ている事が分ります。

以上中日新聞より抜粋。

2008年6月16日 (月)

ドバイにおける現代のバベルの塔:ブルジュドバイ

ドバイの象徴ブルジュドバイ。地上160階、高さ800メートル、世界一高いビル。世界中から金に物を言わせ、世界中から労働者をも根こそぎかき集めてしまう。4日に1階の驚異的なペースで上へ上へと伸び続け、いまだどこまで行くのか最後の高さを誰も知らない。今のドバイを象徴するかのようなこの塔のようなビル。このビルだけで2兆円の巨大プロジェクトであり、いかにものすごいものかがお分かりでしょう。これが砂漠の街に圧倒的な高さでそびえ立っているのです。今の建築現場の130階から周囲を見渡せば周りのビルの小さな事、とても比べ物になりません。そこは強風と砂漠の太陽が照りつける酷暑の世界なのです。

ドバイの人口140万人のうち半数が出稼ぎ労働者で占めているというように、この都市全体がまさにさながら出稼ぎの町のようでもある。このブルジュドバイだけでも6000千人の人が働いていると言うのだから、まさにこれだけでも現代のバベルの塔のようです。昔のように強制的に奴隷の人たちが働かされているわけではないが、かき集められた労働者は低賃金で長時間働かされていて、現代版の奴隷のような待遇で働いているのです。それでも自国で働くよりましと言うわけで世界中から労働者がやってくるのです。

このブルジュドバイを請け負っているのは韓国のサムソンです。そしてここのホテルは初めてイアタリアのアルマーニがプロデュースするそうです。そして空調や排水設備は日本の日立プラントが請け負っているそうです。とこんな具合に世界中の企業がこのドバイを目指して、花の蜜に群がるミツバチのように集まってくるのです。それはまさにお金が湯水のように湧き出ているかのようなその匂いを嗅ぎつけやってくるのです。そこで使われる材料も半端ではないのです。そこで使われる鉄鋼は地球7周分とか、ガラスはサッカー場17個分とか言うように、何もかもが桁違いの量が使われています。

もともとドバイはアラビア半島の砂漠にある小さな一港でした。それが突如としてビル群が現れ劇的な変化を遂げ、今世界中からドバイに注目が集まっています。そんなわけでドバイでは空前の不動産ブームが続いており、人類史上最速のスピードで開発が進んでいます。不動産は年20%と言う驚異的な伸びを見せ、4年前に4000万円で買った不動産が今2億円です。4年で5倍と言うですから中国の不動産ブームもびっくりです。買ったそばから完成しないうちにすぐに転売。それを繰り返しているだけで巨万の富が手に入るのです。ドバイ全体では年15%の経済成長率と言われていて、原油は既に枯渇しておってこの成長ですからものすごい事です。今人口140万のドバイを将来は1000万人と言う途方もない規模での開発を想定しており、うわ物を作れさえすれば人は集まると豪語しているのです。

2008年6月 6日 (金)

世界最強の軍団・モンゴル軍

P10003022 雄たけびを上げて、獲物に向かって一直線に攻め入っていくときの、モンゴル軍の様子が現れているようで希薄に迫るものを感じます。その当時はもっともっとたくさんのモンゴル軍が横にずらりと並び、10万人とか20万人とかの軍団が雄たけびとともに城塞に突っ込んできたのでしょうか。そして今まで陥落させられた他の城塞都市の話を聴いていたとしたらそれは身の毛もよだつ光景であったに違いありません。降伏かさもなくば全滅かの二者択一しか道は与えられておりませんでした。降伏をしないときには地上に生きるものはすべて殺し、焼き払えということですので、草一本も残さず焼きつくされ殺されつくされた上に、骨は細かく砕かれて地面にまかれたと記録にあります。という具合でしたのでどの国もみんなモンゴル軍をたいへん恐れていました。チンギス・ハーンの一代で40の国を支配し数百万の人間を殺したと記録があります。

モンゴル軍の絶対服従かさもなくば死かといったものは戦いを必要以上にしないための有効な戦略でもあったようです。一人残らずこの世から抹殺されてしまうと言う恐怖心から無駄な抵抗をあきらめ早めに降伏させる手段でもあったということです。それには徹底的な破壊がなされたからこそこういった戦術が功をなしたと言うことです。

チンギスハーンは戦いをする前に斥候やスパイを使って適の情報を徹底的に収集し、戦闘では投石機などを駆使してありとあらゆる奇抜な戦法をとったということです。それは中世の戦争に革命を起こしたといわれるほど画期的な戦法だったのです。それは大軍をまとめ上げる組織力、兵站品を運ぶ輸送能力、作戦を把握する情報力、敵を欺く奇抜な戦法など、あらゆる面で当時の最先端の能力を持つ世界最強の軍事集団でした。そこにはチンギスハーンの主君に対する忠誠心をもっともを重要視したのです。主君を捕らえて突き出すような裏切り者は決して許さなかったし、たとえそれが敵の武将であっても、正直に申告したものは褒め称えたということです。たとえばチンギスの首に矢を射って瀕死の重傷を負わせたにもかかわらず、自分がやった名乗り出た敵将をその後長く重用したわけです。それはチンギスハーンの「四狗」と呼ばれた側近の一人ジェベでした。

MaccunのHPより抜粋

2008年4月25日 (金)

「鳥の巣」の前で雨雲を退散できるかな?

北京オリンピックが近づいてきています。それに伴ってオリンピックボイコットの話も出て慌しくなっているこのごろです。北京オリンピックといえばメインスタジアムが鳥の巣っこのような独特の形をしていて、鉄柱をいくつも折り曲げて作っているのですが、この間の雨で雨漏りがあったそうです。北京はあまり雨が降らないので、雨漏り対策と言うものをあまり考えてなかったそうです。そんな訳であっちこっちから雨が漏れたというわけですが、結果的にはちょうどいい点検が出来たのではないでしょうか?まぁ大陸的というか、日本ではちょっと考えられないような話ですが、面子を大事にする中国としては,さぞかし担当者を叱り飛ばしたでしょうね。そもそも鳥の巣って雨漏りがするのですから、そういう形状がいけなかったかもしれませんね。

この通称鳥の巣と呼ばれている建物は「国家体育場」と呼ばれているもので、10万人を収容できる中国最大のスタジアムだそうです。ここをグーグルアースで一足先に覗いてみると、さすが中国の威信をかけて建設されている建物だけあって存在感があります。またその周りも簡単に見ることができるのがグーグルアースの良い所です。上空から見ると街の立派な事。ごちゃごちゃした東京とは違って、広い道路が一直線に走り、街は碁盤の目のように作られ非常にきれいに感じます。でもこれらオリンピックの建物を作るために、どれだけの人が生まれた場所や住んでいたところを追い出されたかと思うとちょっと複雑な感じもします。ここで開幕式や閉幕式のほか、陸上競技、サッカーなどの試合が行われます。その隣には四角い形をしている「国家水泳センター」があり、壁が水色の泡の模様で囲まれる設計になっているそうです。話によると中はまるで海底の世界にいるような気分になるそうです。できれば行ってみたいですね。距離も近いし、その中で日本の水泳選手の応援をするなんていうことは、早々機会があるものではないですからね。

ところでこの鳥の巣の形をした国家体育場は、形が非常に複雑なため質の高い鋼材が必要なのですが、中国の製鉄所では手当てが出来なかったそうです。そこで例の9.11事件のあった国際貿易センターの鋼材を使って建てたなんて知ってました?ちなみにこの鋼材を作ったのは日本の製鉄会社だそうですよ。何となく因縁めいた材料を使うと言うことにはどうも気分的に感じがよくない気がしますが、中国ってあまりそういったことは気にしないのでしょうかね。いずれにしても今回のメインスタジアムが、日本の鋼材を使っているというのは日本の技術の高さを証明しているようで嬉しいですね。

北京オリンピックは88日の午後88分に開会式が行われるのですが、中国では8は末広がりで非常に縁起の良い数字だと言われています。だからこの日に開会式が開かれるのですが、8が末広がりの縁起の良い数字というのは日本と同じだったんですね。中国も縁起を担ぎますね。でも88分とこんなところまでこだわるのですから、日本以上に気にすると言う事ですね。日本の政府だったらここまでこだわらないと思いますがどうでしょう。何でもオリンピック開催日の88日の天気予報は、降水確率が47%くらいだったと記憶していますが、はっきりしません。とにかくこのくらいの降水確率だったと思います。だからその日が雨にならないように、人工的に雨を降らして実験をしたそうです。それは一応成功したようですが、その日と言うのが北京市民ウォーキング大会の日だったのかな?聞き逃しましたが、そこで走った日本選手が感想を言っていたそうです。走った後服が真っ黒になったと。それほど空気が汚染されていると言う事ですからちょっと怖い感じもします。それと北京の街は戦車が走っても大丈夫なように、地面が非常に硬いのだそうです。だからマラソンで走るのがちょっと心配ですとアナウンサーが言っていました。

それと降雨実験ですが、空に向かって大砲を撃つのです。ヨウ化銀の入った弾を雨雲にめがけて打つのですが、中国は雨を降らせる実験を何度も繰り返しているようで、以前にもその様子をTVで見たことがありました。驚くほど簡単なもので、農村の人が大砲を使って雨を降らせるんだと言って、空に目掛けて弾を撃っていました。すると数十分後にはほんとに雨が降ってきたのです。雨の降っていた時間はそれほど長くはなかったですが、それでも雨が降りましたからね。それなりに雨を降らせることが一般的に行われているのかなと思いました。それを今度オリンピックの本番でもやろうと言う事です。開会日前に雨雲を発見したらそこへヨウ化銀の弾を打ち込むのだそうですが、中国が思っているように上手く雨雲をコントロールできるかどうかですが、お手並み拝見といったところです。

2008年4月22日 (火)

シベリア鉄道・ウラジオストク駅

Img_494011 いやぁー始めてみるシベリア鉄道の列車です。思わず写真を撮ってしまいました。でも日本の電車とは全然違いますね。人も駅構内を平気で渡っていますし、ホームも地面と同じ高さで日本の常識は通用しません。もちろん時間も日本のように正確ではないそうです。それがまたロシア的なのかもしれません。しかし列車はもう少しきれいだといいのですが、日本で言えばローカル線の列車のようかな。ところでこの列車はモスクワまで行くのですかね。左側に写っているのはハバロフスク駅の裏側。こうして見ると駅のきれいさとは対照的に列車の汚さが目立ちますね。貨物列車は別にしてもで客車も貨物列車と同じ色というのはちょっといただけないですね。

シベリア鉄道について書きますと4人部屋の相室でお酒は禁酒。ウッカなどを飲んでいると注意されるそうです。ちなみに私たちは日本酒を持ち込んで飲んでしまいましたが注意されませんでした(分からなかったのかもしれません)。1回だけですが列車販売が巡回してきました。何かほしいものがあればそのときに買うことも出来ますが、ただちょっと割高のようですね。食堂車はありますが、車両との間を移動しないほうがいいとツアーガイドの方がおっしゃるので行きませんでした。またトイレは便座式なのですが汚くて座る気がしませんでした。車両の前と後にありますが駅に近づくと利用できなくなるので、朝などは早めに行かないと混んでいざというときには間に合いませんから注意が必要です。朝の洗面もトイレ内の手を洗うところくらいしかないので、洗面台があると思っていると勝手が違い戸惑うかもしれません。夜は長いので列車内でお腹がすいたときラーメンを食べようと持って行きましたが、これは湯沸かし器がありますのですぐお湯が使えます。ただシャワーはありませんので念のため。しかし長距離の人はほしいですよね。それ以外では、もしかしてロシア人と相部屋になったときに親しくなるきっかけとして食べ物とか、ちょっとした日本的な小物などがあると打ち解けるのが早いと思います。これも旅を楽しくするためのコツだと思います。

2008年3月19日 (水)

北京オリンピックを控えⅡ

北京オリンピックも開催日がどんどん近づいています。それにあわせ北京の街もお化粧直しが急ピッチで進んでいるようです。しかしご存知のように北京の大気汚染はかなり酷いもので、まるで深い霧に包まれているようなものです。霧なら良いのですがそれが自動車の排気ガスなどの汚染物質なのですからたまりません。北京の大気汚染のレベルはと言いますと、レベル4からレベル5なのだそうです。と言われても比較するものがないと分りませんよね。日本の都市で言うと東京や大阪がレベル3からレベル4だそうです。それでもまだ実感できないかもしれないので、例えば一般的な広さ(6畳間?)の部屋の中で一人でタバコをスパスパ吸っている状態のときがレベル4だそうです。レベル5になると数人でタバコをスパスパすっておるのと同じ状態になるそうで、タバコを吸わない人にとってはレベル4でもその部屋に一緒にいることを躊躇するほどです。ましてやレベル5になるととてもではありませんがその部屋にいること自体が難しいと思います。だからこのくらいのレベルになると鼻に違和感を覚えるそうです。

そんな状態のところで競技をするのですから選手はたまりません。それでもまだ室内競技の種目はまだ良いかもしれませんが、外で競技する種目となると、例えばマラソンなどのように屋外で長時間いる場合などではそれこそ健康状態が心配されます。実際マイカーの急増や建設ラッシュの影響で、今や北京市内の街がかすんで見えるほど大気汚染はすさまじいく、オリンピック会場の近くを流れる「清河」は、名前からは想像できないほど黒く淀み、白い泡が浮かんでいるそうです。そう言う状態ですので、男子マラソンの世界記録保持者、エチオピアのハイレ・ゲブレシラシエ選手は、「中国の汚染は自分の健康にとっては脅威。現在の状況では42キロを走るのは難しい」として大気汚染を理由にマラソンの欠場を決めてしまいました。女子の世界記録保持者、イギリスのポーラ・ラドクリフ選手も中国の大気汚染に懸念を示し、特殊マスクを着用して練習しているほどです。だから世界各国の選手は現地入りして練習をしておらず、直前まで日本や他の国で練習をしているほどです。

またオリンピックを控え美しい都市のイメージづくりを躍起になって進めています。例えば北京の主要道路沿いの建物の外装作業が急ピッチで進み、陰気で古びた外観は明るい色に塗り替えられていますし、平らな屋根は、見栄えよく改装され、美しい絵の施された古風な壁を新たに建築し、その中に雑然した安っぽい平屋建ての家並みを隠してしまったそうです。こんなところにお金を使っているくらいならもっと環境汚染のほうにお金を使うべきだと思うのですが、この方が大気汚染の問題より処理しやすいと言う事なのでしょう。汚いものに蓋をするだけでは根本的な解決にはならないと分かっているのでしょうが、4年も前から決まっている事なのに何とかならなかったのでしょうかね。汚いものと言えば第6回冬季アジア大会(吉林省)において、トイレの異臭や、禁煙のトイレで喫煙する人が後を絶たなかったそうで「もう1度中国でやれと言われたら? 」との問いに対し「嫌ですね」とコメントしているそうです。こういったことはなくそうと思えばなくなるのではと思うのですが難しいのでしょうか?北京市内ではマナーの向上を図るためボランティアを動員してバスに乗るときは並んでとか、道に痰を吐かないとかしていますが、そう言ったマナー面も心配になってきます。いずれにせよ中国にとって北京オリンピックがきっかけとなって、少しでも今の状況より良くなるといいですね。

2008年3月10日 (月)

最強のモンゴル軍

P100028112 モンゴル軍は十進法にならって10戸隊、100戸隊、千戸隊、万戸隊に分けていた。そして命令には絶対服従で許可なく略奪をすれば死刑、戦闘中に逃亡すれば連帯責任で10戸隊の残りの9人とともに処刑され、もし10戸隊全員が逃亡すれば100戸隊の残りの90人全員が死刑になったと言います。軍団の主力は重騎兵と軽騎兵からなり、そのあとに投石機などの砲撃部隊、予備兵、兵站部隊(後方支援部隊のこと)が続きます。

兵站部隊の中心はラクダと荷車で、荷車の上には移動式のゲルが据えつけられていました。そして妻や子供などの家族を伴っているので、その周りにはたくさんの羊やヤギの群れが取り巻き、騎兵たちには一人当たり4頭程度の替え馬を用意していたといいますので、その数は膨大なものになったと言います。だからチンギスハン軍の進軍になると無数の馬やラクダ、ヤギに羊などが同時に進行するため、そのあとには何も残っていなかったと言うほどです。そしてそのときの砂煙が遥か遠くのほうからでも見えたと言いますから、そのすごさが分かるというものです。

しかしこの馬や羊、ヤギなどは実は当時で言うと、馬は戦闘機でありヤギは歩く食料庫、ラクダは輸送機だったと言います。さしずめこれは移動キャンプでなく草原と言う大海原を進む航空母艦を中心とした巨大航空艦隊だったのです。この空母が1500キロも2000キロもあっという間に移動していたわけですから、その艦隊は圧倒的なパワーだったということです。しかし大軍を率いて遠征となるときわめて広い面積の草原が必要となるため、たとえば10万の大軍で遠征に行くとすると、いっぺんに同じ方向に移動することが出来ない(それだけの草が確保できない)ため、お互いに別々の道を進みながら連絡を密にし、同時に目的地に到着するよう目指さなければなりません。

もしそれが出来なければ、それは即計画の失敗に繋がり部隊の全滅の恐れさえあるのです。だからそれを確実に実行するには的確な情報交換と情報処理が必要とされ、馬で部隊の間を行き来して伝令を伝えたり、烽火を使って合図を上げたりしていたということです。このようにチンギスハンの騎馬軍団は組織力、輸送能力、情報力などあらゆる面で当時の最強の騎馬軍団だったのです。

2008年3月 1日 (土)

眠れる白熊ロシア

http://www.youtube.com/v/pu-Txbqv6yc

ロシアに空前の日本ブームが起きて2~3年がたつのでしょうか?私がロシアに行ってからもう4年くらいたちますが、今のようにロシアに空前の日本ブームが起きるという実感はなかったですね。確かに日本製の自動車は人気がありましたが、あくまで実利的な面からの人気であって、文化面から見た日本ブーム(村上春樹などは人気になっていると後に聞いた)と言うものを今ほど感じたことはありません。しかし行った先がモスクワのほうであればたぶん日本ブームの走りが出ていたかもしれません。私が行ったのは極東ロシアと呼ばれる地区で、日本に最も近いヨーロッパと言う触込みで出かけたときでしたから、極東方面にはまだブームが迫ってきていなかったのかも知れません。行くのが1、2年づれていればブームに入っていたかもしれませんね。

ロシアは1998年に実質GDP成長率がマイナスとなり、株価は急落し、短期国債の利回りは急上昇し、金融危機が発生しました。しかしその後のルーブルの切り下げによる国内産業の復調と石油価格の高騰を主な原動力として経済は回復し、2007年には9年連続のプラス成長を記録し、現在ロシアに消費ブームが起きているそうです。今までロシアではなかったような家族連れで楽しめるレジャー施設が作られたり、日本車が街に溢れるようになったりと急速に経済が復興して、株価もこのところ2倍に跳ね上がっていると言います。不動産についてもブームで、最近の伸び率は世界3位の伸び率だそうです。例えば130㎡のマンションを2000万円で買ったものが、今では8000万円に上がっているなんて言うものもあるそうです。こんな具合に今ロシアは我が世の春を謳歌しているかのようです。

こう言う消費ブームが空前の日本ブームも引き起こしているとも言えるわけで、モスクワには日本レストランが200軒とも300軒と言われるほど出来ているそうです。当然人気先行型の日本ブームと言うことで、日本食と呼ぶには疑問符のつくような食べ物も多くないと言います。例えば寿司の軍艦巻きと言っても海苔で巻いてあるわけではなく、なんときゅうりで巻いてあるそうです。この程度は序の口のようですが、店の中に書いてある漢字にしても、逆さに書いてあっても平気でそのまま掲げてあるなど、日本人から見ればおかしなものがいっぱいあるようです。だから反対に間違った日本のイメージができてしまわないかと心配になるほどです。ここでロシアでいま大人気の北野武さんのパナソニックのコマーシャルを紹介しておきます。あなたも見たことがあると思いますよ。

今度大統領に就任すると言われているメドベージェフさんはプーチン大統領の忠実な部下だそうで、今度の新体制にはプーチン大統領が首相になってメドベージェフさんの下に付くそうです。その体制でうまくいくのかという意見もあるようですが、と言うのはロシアでは大統領の権限が強大であるため、格下の首相の地位ではいずれ権力闘争が起きはしないかと言う懸念を持っている人もいるからです。しかし今のプーチン大統領の影響力を持っていればそれは杞憂に終わると言う意見が大半です。今後のロシアの行く末を考えると、ロシアをハイテク国家に育てなければならないという政策は両氏とも同じ考えのようですが、その方法が違うようです。メドベージェフさんは中小企業を育てないとこれから産業の裾野が広がらないと考えているようで、片やプーチン大統領は今見られるように国家の力で強い企業を育ていくという大企業志向のようで、両者の考えが違うようです。その辺はメドベージェフさんがうまく違いを出し、大企業と中小企業という具合にぶつからないように協力し、経済戦略を進めるという方針なのかもしれませんね。プーチン大統領の任期が切れるときには憲法を変えてそのまま大統領を続けるという意見が多かったと思いますが、結局大統領より格下の首相をするということで決まったようです。この辺はルールを変えなかったプーチン大統領のえらいところではないでしょうか?

最近トヨタがロシアで自動車工場を建てたり、パナソニックが現地合弁会社を作ったりしていますが、日本からの投資はまだ0,4%だそうです。どちらかというと日本企業の進出は遅れているようですが、2010年ごろまではロシア市場の急成長が見込まれるようです。したがってこれからますますロシア市場の比率は高まっていくと思います。プーチン大統領も経済問題には高い関心を持っており、とくに極東ロシアの発展をさせなければならないという考えを持っていて、退任する前にその道筋をつけておきたいという考えのように感じます。ただ一つ懸念することは、ロシアとしても最近の中国の急激な台頭に神経を尖らせているようです。とくに沿海州などの人口が少ないため、中国にこの地方が人口で呑み込まれてしまわないかという強い危機感を持っているのです。だから極東に目を向けている今は、そう言う意味でも日本にもチャンスのときであり、アジアの国になりたいと言っている今が関係改善をするいい機会でもあるわけです。

2008年2月24日 (日)

ドバイ知ってる?Ⅲ

TVでドバイの紹介をしていました。過去2回ほど書いていますが、そこに書いてないことや追加したい事などありましたので書き加えました。また前回と内容的に多少なりともダブルところがありますが、前回の記事を読んでいない方のために再確認と言うことで書いております。

ドバイはアラブ首長国連邦を形成する7つの国のうちの一つで、ドバイ首長国の首都です。地理的にはペルシャ湾を隔てて反対側にイランがあり、アラビア半島の角の部分に当たる所です。陸上の交通の要と言うわけではないのですが、地図を見ると分るように空と海の要に当たると言っても良いでしょう。ヨーロッパにもアジア、アフリカにも、ともに空と海の要になっているのが良く分ると思います。そう言う意味で現代の新シルクロードと言ってもおかしくないと思います。そしてシルクロードの中継地点の多くが繁栄した様に今このドバイも繁栄を極めているのです。

アラブの国と言うとすぐ石油と思い浮かべる人が多いと思いますが、ここドバイは石油の枯渇を見越して前国王が石油で稼いだお金で建設した都市でもあります。建設当初は無謀とまで言われたプロジェクトで、誰もが失敗すると思っていたものですが、結果は現在のように世界で最も繁栄している都市の一つになっています。したがって現在では国の産業は観光と貿易と金融の3つが大きな柱であり、これがドバイの強みであり、今では石油のイメージはありません。ということで今世界中から資金が集まり、建設ラッシュでわいており、世界の建設用クレーンの三分の一がこのドバイにあると言われているくらいです。

観光の目玉として有名なものが、海を埋めて作った真珠貝のような形をしたパームジュメイラの人工島が知られています。超有名人の別荘があることでも有名で、これと同じような施設がまたもう一つ建設中です。その名前はザワールドと言う人工の島ですが、一つの島が14000平方キロから42000平方キロの島の集合体で、島と島の間が100メートルくらい開いている島々だそうです。だから行くにはヘリコプターか水上バイクやボートでしか行けないと言うところです。これもまた超ビックな金持ちの別荘でしょうが、スケールが違いますね。

もう一つの観光の目玉は世界最大の室内スキー場と言われているもので、夏と冬を同時に楽しめる贅沢な施設です。灼熱の砂漠でスキーが楽しめるのですから、建設資金も相当使ったでしょうが、室内を-3度に保つのですからその電気代もすごいでしょうね。それこそ石油をガブガブ使っているかもしれませんね。日本でもそう言う施設が東京の近郊にありましたが、その後それは止めてしまったのではなかったでしょうか?だって電気代などの経費が掛かりすぎて採算が取れないと思うのですが、ドバイのスキー場はどうなんでしょうね。ひょっとしたらここからアラブのスキー選手が出てくるかもしれませんね。

観光の他には貿易ですが、ここドバイに住むと所得税、住民税などがないので、世界から人と物と金が集まってくるわけです。そんなこともあってここには140カ国以上から6000社がドバイ港に集まって来ています。なんと言っても税金が掛からないので製品をいったんここに置いて、ここからさらに世界中に輸送するための基地になっているのです。つまり貿易が盛んと言うことです。

それ以外には金融センターとしてやはりここに世界中からお金が集まっています。ここ数年で湾岸地域に流れ込んだ何兆ドルという巨額のマネーから利益を上げられると踏んでおり、金融市場を確立する絶好の時期が来ていると考えているようです。そして出来るだけ早くドバイをニューヨークに匹敵する金融都市にすることが夢だと言います。だからひょっとしたら砂漠にウォール街が出現するかもしれません。

これ以外には水の生産が世界第二と言うことはあまり知られていないと思います。砂漠の国で水の生産が世界2位と言うと不思議に思うかもしれませんが、砂漠だからこそ水が必要となるので、海水を淡水化して飲料水にしているのです。聞いたことがありませんか?マサフィーと言う飲料水を?聞いたことがある人はそれがドバイ産だと知っていましたか?確か私もコンビニで買ったとき砂漠の国の名前が書いてあった記憶がありますので、それがそうだったかもしれません。1ℓのもので1本150円と手ごろな価格だそうです。ちなみに一位はサウジアラビアで三位がクエートということで全て砂漠の国ばかりでした。またこの技術を支援しているのは日本企業ですが、こんなところでも活躍しているんですよ。すごいですね日本の企業の技術は。

もう一つ儲けているものは飛行機のエミレイツ航空です。聞いたことありますよね。この航空会社は機材、設備、エンタテイメントで世界一位の評価を受けている航空会社です。今ここで作っているジェット機の座席が370席で1億円もするそうです。さすが金持ちの国。エコノミーでも座席が仕切りで仕切られていましたし、もちろんフルリクライニングで座席が腰揉みの機械になっていました。テレビは600チャンネルもあり、天井には星空が描かれていました。こんな豪華な設備ですので航空運賃もものすごく高いです。東京ードバイ間が何と100万円(ただしこれはファーストクラス)ですよ。また空港もすごいです。今ある空港の近くにもう一つ作っているそうですが、それが4本の滑走路を備えているのだそうです。それにさらにもう一つ空港を作るそうで、それは滑走路が6本もあるそうです。これだけでも10本の滑走路があると言うことですが、滑走路10本と言う数字が如何にすごいかちょっと分りませんよね。日本の大きな空港の滑走路を全部足しても8本にしかならないと言うのですから、その凄さがお分かりだと思います。そしてそこで飛ぶジェット機にはシャワーをつける予定だそうです。何と言っていいかすご過ぎで言葉になりません。

最後にお金の話を。こんな活況のある成長著しい市場の株を買いたいと言う人もいらっしゃると思いますが、ドバイの株を買えるそうなんです。マックシャラムと言う証券会社があり、そこでは日本人でも口座を持てるそうです。その注目の株は砂漠で暑いと言うことで空調の会社でタブリート社と言うそうです。一株90円と言うから金額は安いですよね。でもドバイ証券取引所の平均PERが50倍くらいだと言いますから、これではちょっと高くて手が出ませんね。もちろんお金もないのでどちらにしても関係ないのですがね。余裕のある人はいかがですか?ひょっとしたら良いかもしれません。

もう一つ旅の思い出に宝くじはいかがですか?思い出に宝くじ?と思われるかも知れませんが、この宝くじ何と当たる確率が5000分の一だそうです。5000人に一人の確率で当たると言うことです。すごいですよね。この宝くじは賞金は1億円です。当選発表は三ヵ月後です。帰ってからもし1億円当たったらすごいお土産になること請け合いです。でもこの宝くじ一枚3万円もするのでちょっと高いのですが、記念に1枚くらいならいかがですか?

2008年2月23日 (土)

グーグルアースで海外へ:極東ロシア

今は良いですね。いつでも簡単に地球の上空から地球の行きたいところへあっという間に行けるからです。と言うわけでグーグルアースを使って、以前行った極東ロシアに再度行って見ました。と言うのは以前寄ったウラジオストクにある一番古いと言われている教会の位置が、未だに分らなかったからです。以前も調べたのですが、そのときはどうしても分らなかったのです。だから今回二度目の挑戦と言うことでウラジオストクに行って、その場所を探したと言うわけです。結論から言うと結局今回も分らずに終わってしまいました。いくら記憶を辿ってもその位置がどうしても分らないのです。グーグルアースにはその場所の写真がいろいろ載っているのですが、それを手当たりしだい確認して行ったにもかかわらず、ついにそれらしき教会の写真を見つけることが出来ませんでした。残念ながらひょっとして写真が載ってないかもしれませんね。

こんなふうに実際の町の衛星写真を見ていると、単に地図で見ているのとは違って格段にそのときの記憶が鮮明に蘇るような気がします。そんな極東ロシアのウラジオストクとハバロフスクの街にもう一度出かけましたが、最近プーチン大統領が極東の経済発展に本腰を入れると言うことを強調しています。というのは最近とみにウラジオストクのある沿海地方とハバロフスクのあるハバロフスク州のなどの極東ロシアの人口の減少に歯止めがかからず、減る一方だからなのです。だから何とか経済を発展させ、極東地方の人口減少に歯止めを掛けたいところなのです。

というのは極東やシベリアが人口がもともと少ないところへもって、さらに人口が減って来ているため空洞化の危機に直面していると言う事情があるからです。極東ロシアは、ロシアの国土面積の3分の1以上を占めるのですが、極東の人口は800万人をピークに2007年には650万人まで激減しているのです。これを見ると極東ロシアの人口が如何に少ないかと言うことが分ると思います。これに対して国境を接している中国の黒龍江省の人口だけでも4000万人近くが住んでおり、如何に極東人口が少ないかと言うことがこれでも分かると思います。だからこれをロシアのプーチン大統領も心配しているのです。このままの勢いで行くと沿海地方やハバロフスク州が人口の圧倒的な多い中国に飲み込まれはしないかと心配しているのです。だからそのためにも日本の経済協力を得て極東地方を発展させたいわけです。

ところでこのウラジオストクの名前の由来ですが、ヴォストークは「東方」を意味し、ヴラジは「支配するとか支配者」を意味するのです。つまり「東方を支配せよ」と言う何処か怖いような意味ですね。だからこの名前が意味するようにウラジオストックのある沿海地方は、ロシア帝国が清から1860年に北京条約で強制的に割譲させた領土なのです。東方を支配して不凍港を目指して領土を拡張してきたのです。だからそんな歴史的流れがあったので、その後もソ連成立まで中国人がウラジオストクの人口の3割以上を占めていたくらい多く残っていたのです。このあたりがロシアの領土と言ってもそれほど昔からロシアの領土と言うわけではなかったのです。長い歴史で見れば中国との関係が深い地域なのです。ロシアの心配はこんな土地柄であってヨーロッパロシアからは遠すぎるため、なかなか人口も増えないと言うこともあると思います。

またウラジオストクには日本人街があって浦塩(潮)斯徳と書いていたくらい日本との歴史的な繋がりもあったのです。しかしソ連のスターリン時代に強制的に退去させられてしまいウラジオストクとの繋がりが絶たれてしまったのです。そう言う意味ではもっと日本とウラジオストクが交流があっても良いと思うのですが、東西冷戦時代を通じて交流がなかったし、その後も平和条約締結も出来ないでいるため、あまり交流もなく地理的には近くても遠い国と言う感じになって、いまだに貿易はそう盛んではありません。沿海地方は日本に一番近いヨーロッパと言われているのですが、交流がなかなか進んでいないと言うのが残念な事だと思います。プーチン大統領が極東の経済開発に力を入れと言うことですので、今後交流が活発化する可能性は大いにあります。

こんな事もロシアに旅行したので覚えたと言うこともあります。海外旅行の良いところはこう言った事が旅行する事で感心が出ると言うことではないでしょうか?広い世界でいろいろな国があると言うことを、自分の目で見てくると言うことは、新聞や雑誌で読むよりか得がたい事だと思います。機会があればまた何処かに行きたいですね。あなたも機会があればぜひ海外に出かけてみましょう。

2008年1月26日 (土)

国別人間模様

海外の日本ブームはまだ続いていますが、外国の人はいったい日本をどのように見ているのでしょうか?そんな調査を日本の外務省が毎年しているので見てみました。その世論調査によると、日本を好きと回答した比率の一番高かった国は、1位がフランス、2位がドイツ、3位にアメリカと何とロシアでした。

この結果を見てどうお感じですか?思っていたよりはアメリカは低く、反対にロシア高いと言う結果でした。漠然としたイメージと言うものは意外と当てにならないものなのですね。それでは個別にそれぞれ見てみることに致しましょう。

2007年の米国における対日世論調査の結果について、対日信頼度は一般の人ではでは74%、知識人では91%で、いずれも過去最高の高いレベルとなったそうです。日本のイメージとしては「豊かな伝統と文化を持つ国」「経済力・技術力の高い国」「自然の美しい国」「アニメ、ファッション、料理など新しい文化を発信する国」「成長力のある国」といったイメージを持っているようです。日本のことについて知るための情報源とし「新聞」「雑誌・書籍」「テレビ」が主流ですが、最近増えてきたのは、「映画」「学校教育」「インターネット」だったそうです。

こんなところから見ると日本に対して、パートナーとしての信頼感は高いが好きな国となると日本より他の国のようだと言えそうです。個人的には多分ヨーロッパの国だと思います。ルーツがそうですしアメリカより長い歴史があるので行って見たい所となるとそうではないかと思ったのです。

次に2007年2月から3月にかけ行ったEU(欧州連合)4ヶ国における対日世論調査では、日本のイメージは、各国とも「豊かな伝統と文化を持ち」、「経済力があり」、「技術力があり」、「自然の美しい国」というイメージが強く、日本に関する情報の入手手段については、全体で「テレビ・ラジオ」(53%)、「新聞・雑誌・書籍等出版物」(51%)が高い一方、フランスにおいては「インターネット等マルチメディア」と回答した割合が69%と一番高く、インターネットを通じた情報収集が活発であることが分かったそうです。

また、「映画」(ドイツ31%、フランス28%)という回答も比較的多く、日本についてもっと知りたい分野は、「日本文化・芸能」(40%)、「科学・技術」(36%)、「歴史」(34%)といった分野で高い割合を示していたそうです。各国において最も割合が高かったのは、英国で「日本文化・芸能」(32%)、ドイツで「科学・技術」(44%)、イタリアで「経済」(41%)と関心の度合いが異なり、フランスにおいては「日本文化・芸能」(56%)に次いで「現代日本の文化(ポップカルチャー)」について52%の回答があったことが興味深く、目を引いたと言うことです。

こうして見るとヨーロッパ4カ国では日本に対する関心が非常に高く特にフランスにおいては現代のポップカルチャーなどのオタク文化やマンガ文化に関心が高くなっていることがテレビなどでも取上げられていましたね。

こちらは少々データが古いですが、2004年9月、ロシアにおける対日世論調査の結果がありました。37%の者が日本が好きと回答し、日本が嫌いと回答した者(3%)を大幅に上回ったそうです。だから日本を好きと回答した者の比率は、仏、独に次ぎ、米と同率の3位だったのです。また、32%の者が日本を信頼できると回答していたというのです。

ただ前回調査との比較では、信頼度は前回とほぼ同率(前回は34%)であるが、日本が好きと回答した者は、前回の45%から低下している。また、日本に関心を有するとした回答が48%から40%に低下し、全く関心がないとした回答が27%から40%に増加したそうです。

日露関係については、89%(前回94%)が重要であると認識し、63%(前回61%)が現在の関係を良好であると評価している。関係を評価すべき分野としては、特に外交・安保及び科学技術を挙げる回答者が多かったということです。

思っていた以上にロシアの日本に対する好感度は高かったのですが、最近の資源高を追い風に所得が上がってきて、人々に余裕が出てきて日本食などのブームが出現したのだと思いますが、それと相まって、ロシア人の関心が多様化してきたため、その分相対的に好きと言う比率が下がってきたのかもしれません。それでも高い事には変わりはなく、こういうチャンスが日本にとって良い結果に結びつくようになればいいですね。

こちらも古いので参考にならないかもしれませんが、一応載せておきます。2003年11月~2004年1月、中・東欧6カ国(ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、ブルガリア、ルーマニア)において今回初めて対日世論調査を実施した日本に対する好意を問う質問については、ハンガリー以外の5ヶ国は90%以上が好意を抱いているという結果となった。

ただし、ハンガリーについても、好意を抱いている割合は80%近くで、非常に高い親日観が示されていることには変わりない(因みに、日本に対する信頼度を問う質問に対し、ハンガリーはブルガリアと並んで信頼できると答えた割合が最も高い(60%))という結果でした。

最後に2006年3月に豪州における対日世論調査結果です。日豪関係が良好であるという回答が約7割に達し、日豪関係の将来についても一層緊密化されるべきという回答が約7割に上っていたそうです。
また、貿易における日本の不公正を指摘する回答は約1割にとどまり、日本人観光客についても増加を図るべきという回答が大半に上っています。

日本については、「異文化の国であり理解の難しい国」とする回答は前回調査に比べて20ポイント近く減少しており、他方、豪州が今後最も親しくすべき国としてはインドネシアや中国という回答が多く、日本が経済力に相応しい国際的役割を果たしているという回答は前回調査に比べて10ポイント余り減少している。

日本とは如何なる国かを問う質問に対する回答から、「伝統と文化」、「経済力とテクノロジー」というイメージは極めて強いことが見て取れ、更に、前回調査と比べて「平和愛好国」であり「民主主義の国である」というイメージが強くなる(それぞれ67%→73.7/75.2%、36%→69.6/72.4%)と共に、「異文化であり理解が難しい国」というイメージは弱くなった(79%→58.6/62.6%)そうです。

日本人の性格を問う質問では、礼儀正しい、勤勉という回答が上位。日本について知りたい分野としては、文化・伝統及び宗教、日本人及び日常生活を挙げた者が多く、訪日して勉強したいという希望も少なくない。 日本についての情報源としては、テレビ、新聞、雑誌・書籍が上位であるが、日本の友人やビジネスでの接触を挙げた者も多いそうです。

最も親近感を感じる国としては、ニュージーランド、英国を挙げる者が多く、日本は対象8ヶ国中4~5位。また、今後豪州が最も親しくすべき国としては、ニュージーランド、インドネシア、中国を挙げる者が多く、日本は対象8ヶ国中6位だそうです。

オーストラリアの結果にはちょっと思い違いをしていたのか、違う結果で驚いています。と言うのはもっと親日的な国でビジネスでも交流が深いし、日本に対してもっと好感度が高いと思っていたので、想像以上に低い結果であったし、もっとも親しくすべき国の中にも入っていないと言うことにも失望しました。

これを人間関係に置き換えると、私と言う日本に対して、アメリカ君は同じ仲間として行動はともにしているが、それほど好きでもないと思っており、その反対に私と言う日本はアメリカに好かれていると思っていた。だけどほんとは金もあって勉強も出来るから、付き合っていれば役に立つと思われているからのようにも見えます。

EC4カ国は以前は小ばかにしていたところがあったようにも見えましたが、知りだすと結構楽しい面があり仲間に入れてあげようと言う感じでしょうか?だから好感度が上がってきたと言うことです。しかしそれはまだうわべだけの物なので、何かあるとまたいじめられると言うことはあるかな?

そこへ行くとロシア君なんかは冷たく何か言うとすぐつかかってくるようなところがあって、付き合いにくいと思っていたが、最近私に対して遊びの面では好意的になってきたと言う気がしてきた。だけどまだ態度は変わらないと言うか、最近所得が増えたせいか昔の傲慢さが、気になるようになってきたかな?

でも一番ショックだったのはオーストラリア君かな?だって最近一番仲良くしていると思ったら、意外と相手はそんなふうに思っていないことが分ったのでショックなのです。ひそかに日本君の私より、中国君やインドネシア君に好意を持っていて、私の言っている事に上の空で聞いているんだもんね。それはそうだよね。だって段々中国君はいろいろ買ってくれるようになったし、お金持ちになってきたから、将来はもっと買ってくれると思っているからね。それに比べ日本君の私は段々魅力がなくなってきたと思われているんだよね。

思い込みや単なるイメージだけで物事を判断すると間違えると言いますが本当にそうですね。その間違った判断に基づいて取った行動で、更なる悲劇が起きたとしたらより失望は大きいですからね。上の人間模様のように、みなさんも思い込みやイメージだけで物事を決め付けないようにしましょうね。

2008年1月22日 (火)

現代版「シベリア送り」

ドイツで、暴力行為を繰り返し、家庭や学校が持て余していた16歳の少年を、更生のためと極寒のシベリアに送っていたと新聞が報じていた。

その少年が送られていた所は人口5000人あまりの寒村で、真冬は-55度まで下がり、小屋には電気がないから、インターネットはもちろんテレビさえない状況であり、暖を取るには自分で薪を割らなければならない。トイレで用を足すにはわざわざ外に出なければならない。このような状況下で、少年は2.5キロ離れた地元の学校に通っていると言います。

ここでロシア語の話せる世話役人と二人で9ヵ月の間生活をするわけですが、ドイツ・ヘッセン州少年福祉局は「厳しい環境に身を置くことで、生活上の諸問題を暴力に頼らず解決する生き方を学んでほしい」として決定したわけです。連邦法では、十八歳未満の少年を更生目的で海外で教育させることは、両親が了解すれば認められています。 ちなみにこの過酷な環境で暮らし更生する方策を州政府から提案され、本人と親からは同意を取り付けてあるそうです。

事の顛末はこう言う事ですが、この決定が更生のあり方として良かったのか、悪かったのか、このあたりが物議を醸しているところなのです。ちなみに2007年には約六百人の少年がフィンランドなどに送られていますが、シベリア派遣とは知らされておらず、教育関係者に衝撃を与えたということです。

少年犯罪対策の専門家からは「ドイツ国内の生活に順応できるようにすることが更生の目的なのに、環境の違うシベリアで何を学べるのか」との批判も出ています。なお全体の矯正プログラムは2年間のスケジュールとなっているので、これが終わっても終わりでなくまだ続くと言う事です。

これを聞いてみなさんはどう思われますか?日本人はシベリア送りというと、旧ソ連軍による日本軍のシベリア抑留の悲惨な体験を、聞いたりあるいは読んだりして思い出される人も多いと思いますが、極寒の地の収容所ということもあって良いイメージは少ない人も多いと思います。

ただこういう体験をした人はもちろんですが、その話を聞いたり読んだりして知っている人たち以外に、こういう話しをあまり知らない人や戦後生まれの人たちの中にはシベリア鉄道の旅とか、バイカル湖の旅や、シベリア自然満喫の旅など負のイメージも消えつつあると思います。

いろいろな思いはあると思いますが、抑留者の体験話を書いた人の言葉の最後に、確かにソ連では酷い仕打ちにあったが、人が憎いのではなく戦争が憎いのだと、戦争になれば日本人だってアジアの人から恨まれるようなことをしているし、国の指導者が悪いのだが、戦争そのものが人を苦しめるのであって、ロシア人を憎まずと言うような事を書いていました。

全ての人がそのように思えるかどうか分りませんが、こうした過去の過ちを済んだ事として水に流すという言葉が日本にはありますが、この場合は典型的な日本人的考えだと思いました。

反対に中国などにはこのような考えはない様で、死人に鞭を打つというか、すでに歴史上の人物にもかかわらず、いつまでもその恨みを忘れずと言って、いまだに墓に対して屈辱しているなんて言う記事を読んだ事もあります。水に流すというような考えがないんですね中国には。だからいつまでも中国は日本を非難し続けているのでしょうか?韓国もそうかもしれません。

このように国によって民族によって考え方が大きく違うので、日本人的考えだけでは国際問題を考えるとき間違ってしまう恐れがあるのではないでしょうか?そこには歴史的な流れの上でのものの考えが出来ないと、日本人的考えだけで判断しては誤ると言う事だと思います。特に政治上のことになるとそれは重要だと思います。

しかし今回のような政治上の話ではなく、教育のあり方と言う話になるとそれほど大きな違いはないのではないかと思います。最近の日本のように教育レベルが下がり、将来に対する意欲も低いし、何をしたいのかという希望がはっきりしない国というのは先進国でも日本の国くらいだったと思います。急激に豊かになりすぎたことへの代償なのでしょうか?

だからこう言う日本においては、シベリア送りくらいの刺激がなければダメだと言うことで、歓迎されるような風潮も一般の人の中にはあるかもしれません。もちろん教育関係者などの人たちからは、先に書いた記事の中にあるような意見もあるでしょう。議論百出でなかなか意見はまとまらないと思います。

私的には「シベリア送り」と言うのはイメージが悪すぎます。ドイツにおいてもソ連から目の敵にされたせいもあって、シベリア抑留で日本人以上に多くの人が死んでいます。そんなところへわざわざ送らなくても、今までどおりフィンランドに送り、環境をシベリアでしているようにすれば済むと思いませんか?あなたならどっちの意見につきますか?

2008年1月21日 (月)

極寒の地オイミャコン・人間って強いんですねー。

昨日テレビで世界一寒いところの映像が流れていました。私は以前極東ロシアに行ったことがありますが、極東ロシアと言うと寒いという感がしません?そのロシアのシベリアで、温暖化の影響により永久凍土が溶け始め地盤が緩み、陥没したところに水が溜まり、あっちこっちで湖が出現しているなんて言う記事も載っていました。温暖化の影響はこんなところにも現れているんですね。

もう少し言えばモンゴルでもロシア国境よりのところでやはり永久凍土が溶け始め、乾燥化が進むと心配されています。というのは今まで永久凍土の氷があったため、それが草の水分補給になっていたのですが、氷が解けてきたため水分が減り、段々草が枯れ砂漠化していくと言われています。だからその前に植林をして乾燥化を防ごうと言う活動が始まっています。

極東ロシアもモンゴルも、ともにテレビで言っていた「地球でもっとも寒い所」(南極は別だと思うのですが・・・)と言われているオイミャコンに近く、シベリア寒気団が発生するところなのです。だから当然極東ロシアもモンゴルもシベリアに近いため、非常に寒いところには違いがありません。またここでの異変があるとすれば、例えば温暖化して寒さが弱まれば、それは日本にも大きな影響があると言うわけです。

このオイミャコンは周りを山に囲まれ、地面には永久凍土が何十メートルも凍っており、そのため非常に寒くなるのだそうです。自然の冷凍庫にいるようなものなのでしょう。何とその寒さは-57℃と言う寒さで魚を釣り上げると、その魚が10秒で凍り付いてしまったほどです。よくある話で、手ぬぐいを濡らして振り回していると6,7回も振り回せば凍り付いてしまいましたし、北極でも-40℃と言ってましたから、その寒さを実感できると思います。

ただそう言うところで生活してない者からすると、ちょっと不思議に感じたことは、実験で流しそうめんをすると出来るかどうかです。どうですか?お分かりになられますか?これが意外やと言うか当たり前なんでしょうが、普通に水が流れソバを食べる事ができたのです。あっという間に凍ってしまうような寒さにもかかわらず水が凍らなかったのです。だから不思議だったのです。

答えは流れている水は凍らないと言う事だったのです。だからそこに流れている川があったのですが、その川は凍らず水温も2度もあるそうなのです。だから川なのにそこから水蒸気のように水煙が立ち上っていました。その川の岸にある葉っぱなどに、その水煙が付いたのでしょう。氷の結晶が付いてそれはきれいな感じがしましたし、雪景色に彩られた川の景色のきれいなこと、ちょっと行って写真を撮りたいと思ったくらいでした。

そこに取材に行ったタレントさんが、川の岸辺に近づいて行ったとき、氷が割れて落ちてしまいましたが、そのときの慌て様は演技でも何でもなく本当に寒くて死んでしまいそうな感じがしました。今までの説明を見ていただければ、半端でない寒さが想像できますよね。そんな様子を地元?のテレビが、日本から来たテレビ取材の人が川に落ちたと紹介しているくらいですからね。

そのときの外の温度は-50度だったんです。こんなに寒いところなのに、ここでは風邪などにかからないそうなんです。なんででしょう?それはここが寒すぎてウイルスもすぐ死んでしまうから風邪にならないのだそうです。そう聞くと改めてその寒さが分るような気がします。ウイルスさえも寄り付かない寒さとはすごいですね。だからここはシベリアで一番長寿の町なんだそうです。

ウイルスも寄り付かないので泥棒も寄り付かない?それはちょっと関係ないとお思いでしょうが、それが何とそうらしいですよ。だってここには警察がないのですから。警察がないということは泥棒もいないということだと思います。風邪などの病気はない、泥棒もいない、自給自足の自然食生活となると何かパラダイスのようにも聞こえますが、ここは世界で最も極寒の地なのです。

あなたも行ってみたいですか?氷の結晶の世界へ。あたり一面真っ白でそれはそれはきれいな世界ですよ。それに冬はこんなに寒くても夏は30度にもなるそうなんです。花もたくさん咲くそうです。信じられますか?最後に、こういう極寒の人が住めそうもないような所にも、人が住んでいるんです。人間って強いんですね。改めて人間の強さに驚嘆。

2008年1月14日 (月)

世界びっくり法律・・・北京編

NHKの「びっくり法律旅行社世界一周の旅SP!」で、世界の観光地に行った時に日本人が注意しなければならない法律にはこんなものがある、という番組です。今回は北京観光驚きの法律と言う副題でした。もし北京観光に行かれる場合は面白話くらいのつもりでどうぞ。

一つ目は、ガードレールや電柱などに、カバンや洗濯物をかけるのは禁止と言うものです。旅行で洗濯はないと思いますが、歩いていてちょっとなんて思って歩道の鉄柵などに荷物を引っ掛けていると、法律違反になるようなので注意が必要です。そのときに見つかると最悪罰金なんていうことになるかもしれませんよ。罰金は20~50元(320円~800円)だそうです。

二つ目は、天安門広場には乗り物では乗り込んではいけないというものです。例えば自動車や自転車などがそうですので注意が必要です。しかし法律でそうなっていると言う事は、そもそも日本の観光地にあるような貸しサイクル店があるのかなと言う事です。私は行った事がないので分りませんが、もしあれば自転車に乗るときには注意が必要ですね。これも罰金があります。罰金は20元だそうです。

三つ目は、ガソリンスタンドで給油中、携帯電話を使用してはいけないと言うものです。給油中にもしガソリンに火が引火し、ガソリンが爆発したら大変だと言う事です。中国では実際にそう言う事件が起きた事から、こういう法律が出来たそうです。一応法律違反になりますが、罰金はなく店員さんから注意や退去を命ぜられると言う事のようです。

こんな感じで事例を挙げて、クイズ形式で出演者が回答すると言う番組でした。海外旅行に良く出かけられる人などは参考になるかも知れませんね。

2008年1月 9日 (水)

北京オリンピックを控え

今年は北京オリンピックの開かれる年ですが、中国っていったいどんなところだと思っていらっしゃいますか?自分のためにもどんなところだったか、さっと見てみました。

中国とは中華人民共和国と言い1949年に中国共産党によって建てられた社会主義の国です。歴史的に見れば、現政権は建国してからまだ半世紀少々の歴史しかないのです。

人口の94%は漢族で、ほかにチワン族、ウイグル族、モンゴル族、チベット族、回族、ミャオ族、満族などの人が住む多民族国家です。

他民族ゆえに問題を抱えており、チベットについては以前少し書きました。もう一つは新疆ウイグル自治区の分離・独立の問題で、中国から独立を目指す勢力が国内外に多数存在し、イスラムのと関わりと、石油資源も絡み中国政府も神経を尖らせています。

また中国は国連安保理常任理事国でもあり、国際政治で発言力が増しています。

経済では改革開放を進めてからまだ30年しか経っていませんが、経済は大躍進を遂げているのは周知のとおりです。

中国はいまやGDPでアメリカ、日本、ドイツに次ぐ世界4位の経済大国。購買力平価で見れば日本の2倍以上で、アメリカに次ぐ世界第2位の経済規模です。

また日本の貿易相手を見ると、中国はアメリカを上回り一番のお得意さまでもあるのです。昔はアメリカが風邪をひけば日本は肺炎になると言われましたが、今は中国が風邪をひけば・・・となりそうなくらいお互いの貿易量が増え、お互いの国抜きでは考えられない関係になっています。

けれども日中間での関係は必ずしも良好とは言えないのはご存知のとおりです。なかでも日本に対する反日感情の問題は最近でこそ下火になりつつありますが、消えたわけではありません。

また東シナ海ガス田問題はお互いの領土問題が絡んでいるだけにすぐ解決する問題ではなく、資源確保の問題もからみ解決が長引きそうです。

日本と中国の歴史は長く、ましてや現共産党政権との関係は長い歴史から見ればそれこそ数秒の関係かもしれません。地理的にも近くお互いを必要とする間柄であり、上手く付き合う事がお互いのためになるのだと思います。

今回の北京オリンピックの開催で日本が大きく飛躍したように、中国も開かれた国になり、清朝末期から続く被害者意識を捨て、国際社会の一員として、世界の平和のために手を携えて協力しあってほしいものです。

今年北京オリンピックに出かける人もいらっしゃると思いますが、中国のことを知って行くのと、知らずに行くのでは楽しさも違ってくると思います。行く人もいかない人もご自分でどんなところか調べて見たらいかがでしょうか?

2008年1月 7日 (月)

ドバイ知ってる?Ⅱ(コインの裏表)

ドバイはアブダビ、シャルジャなどとアラブ首長国連邦を構成する7首長国の一つです。その中でドバイは最大の都市でもあります。人口は142万人、面積は埼玉県ほどの小さな都市国家です。今この小さな都市が世界から大注目を浴びているのはご承知のとおりです

砂漠に咲いた鮮やかなドバイの金満花は、表の顔のほかに裏の顔もあります。何でもそうですが人間でも裏と表があるし、物事にも裏と表が表裏一体となってあるわけです。この広い宇宙でも物質と反物質があり、ミクロの世界でも素粒子と反素粒子と言った具合に、なんでも表と裏があるのです。だからニュースや記事を読むときにもその裏に潜んでいるものを感じ取る事が大事だと思います。

前置きが長くなりましたが、この輝くばかりの光を放つ裏に、この都市を支えている人たちの裏の生活と言うものもあるのです。確か以前テレビでそう言うものをやっていたと記憶しています。ドバイと言うと石油に頼って今の繁栄があると思いがちですが(元の元は石油)、観光や外国からの投資です。投資と言ってもアラブ周辺諸国からの投資がほとんどだそうですが。

この金ぴかの金満都市に集まる建設労働者にとっては、悪夢と言って良いほどの劣悪な労働環境が待っているそうです。人間以下の労働者の待遇は日給が平均5ドルだそうです。中には1年以上も給料を貰っていないという労働者もいるそうです。表では極楽を味わっているのに、裏では地獄を味わっているのです。でもみんな知らん顔だそうです。さらに裏では売春婦がたむろし、インド人やロシア人のマフィアや、密輸業者たちがはびこっているそうです。

正月番組でもドバイの番組がありましたが、もちろん見ました。そこでアメリカ人がドバイに住もうと思わなかったが、今では余生をここで過ごしたいと言っていたと思います。ここには豊かな生活、国際的な雰囲気、リベラルな社会があると。

でも本当にそうでしょうか?ここは絶対君主制をしき、国民に選挙権はなく、政党すらありません。だから不満があってもそれを訴える事もできません。ひょっとしたらこのきらびやかな世界は、ショッピングモールや高層ビルに国民を通わせ、民主主義を考えさせないようにするためだと言う人もいるくらいです。権力を国民に与える気など、さらさらないというわけです。だからドバイの人々からは批判めいた言葉は聞かれないそうです。

こんな感じで、表から見たドバイはきらびやかで行ってみたいと思わせますが、裏にはこんな魔物も住んでいるのです。もし行かれるときはこんなことも頭に入れておいたらいかがですか?また見る目が変わるかもしれませんよ。でもそんな金満極楽に分っていても一度は行ってみた~いですね。

2007年12月22日 (土)

ドバイって知ってる?

ドバイって聞いたことありますよね。何処にあるかと言うと、アラビア半島の角の付根にある国で、ペルシャ湾の出口にあります。埼玉県とほぼ同じくらいの砂漠の国です。以前は何が有名かと言うと石油の産油国として知られていました。

知られていたと言うか今でも主な産油国の一つなのですが、石油の埋蔵量があと30年分くらいしかないと言われています。だから石油後を睨んだ国づくりが進んでいるのですが、それが中東の金融センターとしての顔であり、もう一つの顔がみなさんもよく知っている世界最高級の観光都市としての顔です。

それを象徴しているのが、「ジュメイラ・ビーチ」の人工島(パーム・アイランド)であり、そこに建っている世界最高級のホテル「ブルジュ・アル・アラブホテル」です。さらには中東地区最大のショッピングセンターや2007年のハイドロポリス、2008年には世界一高いビルブルジュ・ドバイ、世界最大のテーマパーク、ドバイランドなどの建設など、目白押しの状態です。

パームアイランドは海に浮かぶ人工島で、真珠のような形をしています。ここにはベッカムをはじめ、ビルゲイツや、シューマッハなどの多くの大富豪の人たちの別荘があることでも有名です。そしてこの国の玄関は金持ち国家を象徴するように、ジェベル・アリ国際空港は世界最大級の空港になる予定であり、ドバイ空港を拠点にしているエミレーツ航空は世界一の航空会社を目指しています。

このようにドバイは綺羅星のごとく輝きを放っている砂漠の中のオアシスと言うより「現世の極楽金満土」ような感じさえします。この現代の都市国家は人口150万弱で、そのうち外国人は90%にもなっています。さらにインド人を主に南アジアの人々が60%も占めています。したがってイスラム色が薄く豚肉さえも食べれられるところがあるそうです。

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